地面や水の気持ちになってみる
今日は佐々木正人さん(心理学者)が書かれた『アフォーダンス入門 - 知性はどこに生まれるか』より「アフォーダンスということ」という一節を読みました。一部を引用してみたいと思います。
英語の動詞アフォード(afford)は「与える、提供する」などを意味する。ギブソンの造語アフォーダンス(affordance)は、「環境が動物に提供するもの、用意したり備えたりするもの」であり、それはぼくらを取り囲んでいるところに潜んでいる意味である。ぼくら動物の行為の「リソース(資源)」になることである。動物の行為はアフォーダンスを利用することで可能になり、アフォーダンスを利用することで進化してきた。
「陸地の表面がほぼ水平で、平坦で、十分な広がりをもっていて、その材質が堅いならば、その表面は(動物の身体を)支えることをアフォードする」、「我々は、それを土台、地面、あるいは床とよぶ。それは、その上に立つことができるものであり四足動物や二足動物に直立姿勢をゆるす」。
水は、ぼくらに対して呼吸作用をアフォードすることはない。水は飲むことをアフォードする。水には流動性があるので、容器に注ぎ入れることをアフォードし、溶解力があるので洗濯や入浴をアフォードする。水の表面は密度の高い大きな動物に対する支えをアフォードすることはない。
「アフォーダンス」という言葉に触れて、何だかとても不思議な気持ちになりました。捉えどころがないような、それでいて何となく分かるような気もする。この「アフォーダンス」という言葉について思い巡らせてみます。
地面の気持ちになってみる
例示されている土台、地面、床。あらためて「それらの共通項は何だろう?」とイメージしてみると、"いわゆる"土台、地面、床であれば「かたい、平ら、一定の広さがある」かもしれません。
では、それらにカーペットやマットレスが敷いてあると想像すると、質感のイメージが加わります。「ふわふわ、ザラザラ、しっとり」そんなところでしょうか。
(土台、地面、床)が動物の体を支えることをアフォードする。この表現のちょっと不思議なところは、(土台、地面、床)が主語になっていること。
(土台、地面、床)の気持ちになることから、アフォーダンスという言葉が何を意味しているのか、少し分かってくるかもしれません。
もし土台、地面、床が「やわらかい」としたら、私たちのどのような行為がアフォードされるのでしょうか?
「かたくて平らな地面、床」の気持ちになってみると、私たちにかかる重力を「頑張って押し返している」感じでしょうか。
トランポリンや低反発ベッドをイメージしてみると「やわらかい・必ずしも平らではない」という点が変わります。アフォードするのは「体を支える」ことではないかもしれないです。
体を支えるということは、身体のどこかに力が入っている状態と捉えてみると、「やわらかい・平らではない」ということは逆説的に、私たちが「体を支えない」ことをアフォードしてくれる、ということかもしれません。
「行為すること」をアフォードするのではなく、「行為しないこと」をアフォードする。何だか不思議ですが、周囲の環境に意識を移してゆくことは実に興味深く、いかに自分という人間が環境に支えられているか(アフォードされているか)を痛感します。
水の気持ちになってみる
水は、ぼくらに対して呼吸作用をアフォードすることはない。水は飲むことをアフォードする。水には流動性があるので、容器に注ぎ入れることをアフォードし、溶解力があるので洗濯や入浴をアフォードする。水の表面は密度の高い大きな動物に対する支えをアフォードすることはない。
水の特徴と言えば「なめらかで決まった形がない。色々なモノが溶ける。」そんなところでしょうか。
「水は何をアフォードしているのか?」と言えば、「喉の渇きをいやす・容れ物で運搬する・汚れを落とす」が例示されていました。
あらためて水の気持ちになってみます。
もし水がなめらかでなければ「ゴクゴク」と飲むことはできないでしょう。「水を飲む」という行為を水の気持ちで考えてみると「上から下に落ちる」となるでしょうか。水としては重力に身を委ねて自然と動いているだけ。
もし水がなめらかでなければ、わざわざ「容れ物に入れる」必要はないかもしれません。なめらかだからこそ、どんな形の容器にも簡単に詰めることができます。水に容器を合わせるのではなく、容器に水が合わさります。自由に動きたいように動いているだけです。人から見れば「水にまかせる」だけです。
もし水がなめらかでなければ、汚れを落とすのは大変でしょう。なぜならば「浸透していかない」からです。たとえば、水がサラサラとした砂のようであるとしたら、水と固形洗剤を合わせても「粉」のままです。自然には浸透していきません。
色々と思い巡らせてきましたが、まだまだ「アフォーダンス」という言葉が表すことはおぼろげです。これからも考えてみたいと思いますが、何よりも「身のまわりの環境が行為を支えてくれる(アフォードする)」と考えると、本当に色々な何かに支えられているんだな、と感謝の気持ちが湧いてきます。