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強いつながりと遅い流れ、弱いつながりと速い流れ。

今日も引き続き『ソーシャル物理学 - 「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学』(著:アレックス・ペントランド)より「新しい習慣が根付くのに必要なこと」を読みました。

不確実な環境における最適な学習戦略とはどのようなものか。著者が数学的なモデルによって検証したところによれば、探求行為に90%、残りの10%を実験と考察に費やすことが望ましいようです。

労力の配分(どれぐらい?)は分かったとして、習慣の形成や価値観の変化につながる上で望ましい行動はあるのでしょうか。

事実に関する学習の場合(「夕飯は午後7時から」など)、通常は誰か信頼している知人1人に接するだけで、十分にその情報を伝えることが可能だ。それとは対照的に、習慣や選択の優先規準、興味などを変える場合、短い期間に複数の人々と接触する必要がある。(中略)新たな習慣を身につける場合、その行動が良い結果を生む(社会的承認が得られるなど)という機会に何度か接する必要がある。

習慣や選択の優先規準、興味を変える場合には複数の人と接触する必要がある。それも短い期間に。とても興味深い話です。

自分のことを思い返してみると、ヨガや楽器、学問。同じ物事の中でも考え方や表現方法は人それぞれで。特に「感覚を言葉にする」という営みを通じて、疑問・行動・発見を繰り返しながら、見方や捉え方が変わってきたように思います。

その意味で「自分が接する人を多様化する」ために、複数のコミュニティに所属することは意味のあることなのかもしれません。

私が行った実験の結果から言うと、人間が行う継続的な探求行為は、周囲の集団において顕著に広く普及している行為から、素早く学習するというプロセスだ。それとは対照的に、習慣や選択の優先規準を身につけるのは遅いプロセスであり、模範となる行動に何度も接して、コミュニティの中で検証されなければならない。

探求行為は、普及している行為を素早く学習するプロセスである。一方、習慣や選択の優先規準を身につけるのは遅いプロセスである。

早い・遅いという言葉が「情報やアイデアの流れ」と重なります。流れがどのぐらいのスピードで、どこからどこへ流れてゆくのか。習慣や選択の規準が変わる時は、流れがある密な領域の中で循環し続けるようなイメージでしょうか。一緒に時間を過ごすことが多い「強いつながり」の中で情報やアイデアが流れてゆく。ローカル性が鍵なのかもしれません。

一方、探求行為は「弱いつながり」の中で遠くから近くに向かって情報やアイデアが流れてくる。ソーシャルネットワークはまさに、探求行為に便利なツールなのかもしれません。

私たちの社会的環境は、探求によって得られる新しいアイデアがもたらすあわただしさと興奮の段階と、仲間たちとの社会的学習によってその中からどれを個人的習慣や社会規範として残すか選ぶかという、より静かで緩やかな段階という、2つの部分からなっている。

社会的環境は「興奮と選択」という「急で速い流れと緩やかで遅い流れ」の2つでできている。速い流れの中で探求し続けてばかりいると「何を残すか」という選択が疎かになり、学習が進まない。

「10%は自分の実験と考察にあてる」ことが最適な学習戦略であることを思い返すと、定期的に自分がふれた物事、印象や意味の棚卸をする時間を設けると良いのかもしれません。

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