「言葉の意味は広すぎる」ということから〜組み合わせを通じた有限と無限の調和〜
昨晩、友人と食事をしていると、友人から印象的な話がありました。
「自分には伝えたいことが沢山あるのだけれど、ピタッと当てはまる言葉が見つからないことがある。言葉は広すぎる」
「言葉は広すぎる」というのは、一つひとつの言葉の意味が多義的であるということ。
言葉の意味の多義性は便利なのでしょうか、それとも不便なのでしょうか。
言葉の意味は、その言葉ひとつだけを切り出せば、たしかに色々な意味に取ることができます。
しかし、言葉が文脈の中に並べられると、他の言葉との前後関係から多義的だった意味、解釈の幅が次第に狭まってゆきます。
逆に言えば、言葉の意味の多義性はとても理にかなっていて、言葉と言葉の組み合わせによって「有限の要素(言葉)で無限(の意味)を作り出そうとしている」のではないか、と思うのです。
組み合わせの数は「掛け算」で増えていきます。各要素に「組みに入れる・入れない」の2つの選択肢があるとすれば、要素が2つあれば4つ(=2✖︎2)の組み合わせが、3つの要素であれば8つ(=2✖︎2✖︎2)です。
組み合わせの数は「非線形的」に増加していきます。
言葉の意味・解釈の幅を狭めて、意図を明確にするためには適切な冗長性が必要であるということに、有名な物理学者アルベルト・アインシュタインの言葉「Everything should be made as simple as possible, but not simpler.(ものごとはできるかぎりシンプルにすべきだ。しかし、シンプルすぎてもいけない。)」が重なるのでした。