「専門家まかせ」にしないということ
E・F・シューマッハ(イギリスの経済学者)による書籍『スモール・イズ・ビューティフル - 人間中心の経済学』の「第二部 資源」より「第五章 人間の顔をもった技術」を読み進めています。次回で本節を読み終わります。
今日は「他者まかせにしない」について。一部を引用してみます。
「専門家まかせ」は、猛進派に組することを意味する。政治というものが、専門家に委ねるにはあまりにも重大だという点は、だれでも認めている。今日、政治の中心は経済であるし、経済の中心は技術である。政治が専門家に任せられないとすれば、経済も技術も同じことである。
希望がもてるのは、一般の人たちが専門家よりも幅広い見方と「人間らしい」考え方をとりうることが多いことである。現在、彼らはややもすれば無力を思い知らされているが、彼らの力は新しい行動を自分で始めることではなく、すでに行動を起こしている少数派を理解し、支援するというかたちで発揮される。
「『専門家まかせ』は、猛進派に組することを意味する」
この言葉が印象的でした。
あらためて確認すると、著者が述べる「猛進派」とは「技術革新により人類の危機は避けられる」という態度を表明するグループのことです。
様々な分野、領域において「知の進化・探索」が進み、私たちは日常生活の中でその恩恵を受けています。時間などの制約がある中、一人一人がありとあらゆる分野に精通することは難しく、特定の領域で専門性を高める流れが進んでいます。
例えば、体調が悪い時は病院に受診するなど、日常生活の中で何かの課題や困難に直面した場合に「専門家の意見」は、自分が望ましい判断を下す上での貴重な情報となります。
一方、「専門家の意見をどこまで信じるか」という態度は人によって異なります。その人が置かれた状況や、自分の体験(以前、同じような状況に直面した時に相談した専門家と意見が違う)などによっても左右されるかも知れません。
著者が言う「専門家まかせ」は「バイアスがかかっていないだろうか?」という問いに変えることができるかもしれません。自分でも出来る範囲で根拠(例えば、あるデータがどのように測定されたのか、何を意味するのか)を調べてみたり、あるいは複数の専門家から意見を聞くなど、様々な角度から(過信しないように)検証する姿勢を忘れないようにしたいものです。
また、自分一人では到底解決できないような、スケールの大きな課題に直面した時、「自分がいくら頑張っても何も変わらない」という無力感に襲われてしまうこともあるかもしれません。
そんな無力感を少しでも払拭するためには、どうすればいいのでしょうか。
彼らの力は新しい行動を自分で始めることではなく、すでに行動を起こしている少数派を理解し、支援するというかたちで発揮される。
著者のこの言葉がヒントになるように思いました。
「誰かを応援することならできる」
そして、「誰を応援するか」を決めるのは自分自身だとすると、応援する人がどのような人なのかを自分で確かめる必要があるのだと思います。
「応援する人を他者まかせにしない」
高度な専門化社会に移行する中で、一人ひとりに必要な態度だと思います。