自分自身の製作者としての人間=工作人(ホモ・ファーベル)
「自分自身による自分自身のための創作活動」
ルーティーンであるヨガに取り組み終わった後に、ふとそんな言葉が降りてきた。
今日はインストラクターの方から「ゆらぎを通して学ぶことがある。力強さを持ちながらも固めすぎないことが大切」という言葉を頂いた。たとえば、片足立ちでバランスを取る時、足の筋肉を真っ直ぐな棒のようにガチガチに固めてしまうと、身体はゆらぐことができない。身体に適度な緩さ、というよりも余白・自由を残しておくことで、身体のバランスが崩れそうになった時に元の位置に戻りやすくなる。
身体をしなやかさにしておくこと、つまり「力強さ」と「やわらかさ」を残しておくことは、自分自身に対する様々なフィードバックを受け入れる準備でもある。予定不調和な世界、ゆらぎの中から新鮮な気付きが引き出されてゆくように思う。つまり、身体をしなやかにしておくことは、少しの変化にも気付きやすくする心のしなやかさをもたらしてくれる。
そして、呼吸を続けることも見落とされがちのように思う。呼吸が止まっている時、身体は過度な緊張が続いている。
日常生活の中でしばしば「気持ちの問題」という言葉が聞かれる。気持ちが問題になる時、「気持ちを強く持つ」とか「リラックスする」という言葉ははたして意味を持つのだろうか。その前に身体の声に耳を澄ませてみたい。「今日は緊張しているな」とか「今日は伸びやかだな」とか。
哲学者ピコ・デラ・ミランドラは、「工作人(ホモ・ファーベル)」という言葉を「自分自身の製作者としての人間」を意味すると考えていたそうだ。
自分自身を製作することを「未知の自分と出会い直すこと」と捉えるならば、それが実現可能なのは予定不調和な世界においてなのだろう。
リチャード・セネット(社会学者)の『クラフツマン』という言葉を噛み締めながら、これからも自分自身を製作し続けていきたい、工作人でありたいと思った一日。