昨年から友人にお声がけ頂き「ボルダリング」にチャレンジしています。ボルダリングジムに通い、大小様々な形のブロックが取り付いた傾斜のついた壁に手足をかけて登ってゆくものです。
人それぞれ、手足の長さも違えば、関節の柔軟性、可動域も違います。他の方がチャレンジしている様子を見ているだけでも「そのような登り方ができるんだ…」と、創造的な身体運動に新鮮な気持ちになります。見えていないものが見えているのだと思います。
「こうすれば先に進めるのでは…?」と直感しているものと想像しますが、その直感は手を動かす・伸ばす感覚であったり、足を伸ばし・かける感覚に根差しているのだと思います。少なくとも「頭だけ」でイメージは完結しておらず、頭の中で自分が登っている状況イメージする中で身体が動いているような感覚が湧きあがっているのではないでしょうか。
ここからは私自身の体験を綴ります。壁に登り始め、体力に余裕がある時は身体が軽く感じ、遠く離れたブロックにも「きっと届く」と直感したり、壁の傾斜も気にならない傾向にあります。一方、体力を消耗してくると、手足の感覚も鈍くなり、緩やかな傾斜でも急な傾斜に感じてきます。これは同じコースに複数回チャレンジする中で、壁の傾斜に対する認知が変化しているということの表れだと思います。
壁の「物理的な性質」は変化していないとすれば、私の認知が行為、疲労感によって変化している。つまり、行為を通じて環境、世界を認識している。この感覚を広げてみると「いつ・どんな状態の時に」物事に取り組むのか、ということが極めて大切なのだと思います。