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自分を取り巻く環境との関係性を固定的にしない

ミゲル・シガール氏による書籍『プレイ・マターズ - 遊び心の哲学』を読みました。今日は「遊びと創造性」について。「1章 遊び」より一部を引用してみます。

[第六に]遊びは創造的である(creative)。これは、遊びが、その活動それ自体にもとから備わっているさまざまな度合いの表現の可能性をプレイヤーに与えるということだ。(中略)遊ぶことは、事物を使って、他者とともに、他者のために、そして自分のために、世界を作ることである。
遊びは一種の創造的な表現方法であり、[ある程度までは]共有されてはいるものの、突き詰めれば人それぞれでちがうものだ。遊びは、事物、ルール、プレイヤー、状況、空間を通じて(それ自体の)創造を行う。
そうした創造的な表現のわかりやすい例は、ゲームにおける戦術だ。ゲームをプレイする際、プレイヤーは戦術を組み立てる。戦術を組み立てるとは、ようするに、特定の目標を目指す特定のインタラクションのあり方に適したかたちになるように、遊びの文脈をその都度解釈していくことだ。(中略)戦術は、ゲームを遊ぶという活動のなかで、そのゲームをその場その場で創造的に解釈していくことである。

「創造的であるとはどのようなことだろう?」

文章を読みながら、そのような問いが浮かんできました。

「遊びは、事物、ルール、プレイヤー、状況、空間を通じて(それ自体の)創造を行う」との著者の言葉から、コンサートホールでの演奏が頭に思い浮かんできました。

コンサート本番の舞台では、色々なことが起こります。

たとえば、緊張で運指が乱れてしまう、楽器の調子が突然悪くなってしまう、といったことなどです。

そうした予想外のことが起きても、瞬時に息を合わせて立て直す奏者がいると「すごいな...」と舞台の上で感動を覚えます。ちょっとしたアクシデントもスムーズにリカバリーできると、それはそれで遊びがあるというか、味がある演奏になるように思います。

あるいは、いつもの練習部屋とは異なる、ホールの豊かな残響を聴くことで音の強弱や長さ、時間の使い方が変わってくることもあります。ふっと肩の力が抜けて音の響かせ方が変わってくることもあります。

「最初から何もかもを決めて、そこから外れないようにする」のではなく、「そのときの環境を活かしながら、新しい文脈を作る」こと。

「創造的でありたい」と願って、自分の能力を磨いたり、この人は創造的だと思う人からヒントを得ようとすることも大事だと思うのですが、それ以上に「自分を取り巻く環境との関係性を固定的にしない」という姿勢が、ゆくゆくは創造的であることの土台になるような気がするのです。

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