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恵まれない人々が存在しなくなる社会とは、どのような社会だろう?

ナタリー・サルトゥー=ラジュ(哲学者)の著書『借りの哲学』の第1章「交換、贈与、借り」より「<借り>のシステムと政府の役割」を読みました。これで本書の第1章をすべて読み終えたことになりますので、次回からまた新たな本を読み進めたいと思います。

テーマは「誰もが借りを返すことのできる社会」について。一部を引用してみます。

それでは、その「生きるために必要な負担」とは何か?一義的には社会保障の充実だと思われるが、もし社会に<借り>のシステムを取り入れるというのであれば、そこからさらに進んで、そのシステムを制度として定めることができると同時に、誰もが社会に<借り>を返すことができるようにする制度である。たとえば、恵まれない人がいたら、そこに手を差しのべることは当然だが、それと同時に、その人々が自分の能力によって、その<借り>を返せるようにするのである。
あるいは、誰もが<貸し>を受けて誰もが<借り>を返すことができるようにする制度である。たとえば、恵まれない人がいたら、そこに手を差しのべることは当然だが、それと同時に、その人々が自分の能力によって、その<借り>を返せるようにするのである。あるいは、誰もが<貸し>を受けて、誰もが<借り>を返す状態になれば、恵まれない人々など存在しなくなる。
実際、人々はそれぞれさまざまな能力を持っている。すべての能力を持っている人はいないし、すべての能力に欠けている人もいない。だから、それぞれの能力が生かされ、正しく評価される制度をつくればよいのである。(中略)福祉という観点から言うなら、社会から排除された人々にただ援助の手を差しのべるのではなく、その人々が自分の能力を通じてもう一度、社会と関係を結びなおすことができるようにする。そういった制度を充実させることが大切なのである。

「福祉という観点から言うなら、社会から排除された人々にただ援助の手を差しのべるのではなく、その人々が自分の能力を通じてもう一度、社会と関係を結びなおすことができるようにする。」

この言葉がとても印象的でした。

本書を読み進める中で「貸し借り」という営みが、原始社会から現代に至る中でどのような変遷をたどってきたのか、また、人と人の関係にどのような影響を及ぼすのかを様々な角度から見つめることができました。

たとえば「贈与」という営みを考えてみると「何かを贈る」という行為は、最初から「見返りを期待する」場合と、そうでない場合がある。

前者の場合は、受け取った側に「借り」の意識を芽生えさせ、もし「借り」を返せないとなると、自由を奪われたり、あるいは社会や共同体に所属することを許されなくなってしまう。

一方、「見返りを求めない」カタチの贈与も存在します。それはたとえば、臓器提供の例があるのでした。臓器提供において、臓器提供者(ドナー)が死亡してしまう場合には、臓器の提供を受けた人(贈与の受け取り手)は、その借りを返すことはできません。

善意による臓器提供は見返りを求めないものであると考えれば、この「誰が受け取るか分からない」という構造が「見返りを求めない贈与」が成り立つための重要な条件として浮かび上がってきました。

同時に「見返りを求めない贈与」が成立するためには、受け取り手の側にも「贈与に気付くためのていねいな観察・想像力が必要とされる」ことが浮かび上がってきました。

「貸し借り」という言葉は「委ねる・委ねられる」と捉えるほうが、この「見返りを求めない贈与」に含まれる「囚われない」ニュアンスが伝わるように思っています。

実際、人々はそれぞれさまざまな能力を持っている。すべての能力を持っている人はいないし、すべての能力に欠けている人もいない。だから、それぞれの能力が生かされ、正しく評価される制度をつくればよいのである。

私は著者のこの言葉にある「正しく評価される制度をつくる」というのは、慎重に考える必要があるように思いました。

「見返りを求める贈与」の制度が埋め込まれた社会に所属する人は「制度」の要請にしたがって借りを返すことを強制されるように、「正しく評価されるする制度がある」から「評価する」という構図になるのではないだろうかと考えています。

それよりも「見返りを求めない贈与」に気付く「ていねいな観察・想像力」が必要であるように、「他者の個性を見出す」ための観察眼・想像力を育むことから始める、その育むための仕組みが社会に備わる必要があるのではないかと思うのです。

その誰かの多様な個性が見出された瞬間に、その人は「借り」を返す機会が生まれる。そして「観察眼・想像力」を育むだけでなく「余裕がない」など個人がその発揮を妨げる社会的な要因を少なくすることもまた必要になる。

あるいは、誰もが<貸し>を受けて、誰もが<借り>を返す状態になれば、恵まれない人々など存在しなくなる。

著者のこの言葉から導かれる「恵まれない人々が存在しなくなる社会とは、どのような社会だろう?」という問いを、この先も考え続けていきたいと思います。

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