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デザイン、違和感、そして"わからなさ"に耐える力

今晩は「デザイン」をテーマにした対談イベントに足を運びました。

私はモデレーターの稲葉裕美さんが主催されておられるデザインスクールで学んでいましたので、その意味ではとても大切な恩師です。

対談された稲葉さん、萩原さんはお二人とも武蔵野美術大学のご出身でありデザインを深く学ばれ、そして実践し続けられておられます。

「デザイン」そして「センス」というキーワードが軸となった対談に意識を向ける中で浮かび上がってきたのは、「違和感」「わからなさに耐える力」という言葉でした。

センスを磨くためには好きな物事、気になる物事に没入すること。

沢山の量を浴びる中で、良し悪しや違いが見えてくる。それはつまり「量が質に転化する」ということでもあります。

そして、いざデザインを実践するとなった時に起点となるのは「違和感」ではないか、と思ったのです。

「どこか調和していない、かみ合っていない」「何が違うんだろう?」

そのような違和感には「あるべき姿(ToBe)」の可能性と「今の姿(AsIs)」の両方が含まれていて、それらの差分が違和感の源泉となっているはず。

そうした違和感はすぐに解消できるものばかりとはかぎらず、得てして様々な要素が複雑に絡みあっていることも多く、その違和感を解消する過程では「わからなさに耐えながら試行錯誤する」ことが少なからず求められるように思います。

現代社会は「効率性の追求が過剰」というか、物事を直線的に短時間で解決することが求められやすく、そこでは慎重な検討が行われないままモデルに現実をあてはめて、ある意味では「予定調和的な答えが是とされる」ことも少なくないのではないでしょうか。

そうした世界観の下では「わからない」ことの表明は忌避される対象として捉えられてしまう。が、それでは物事に内在する特徴、可能性が徒らに捨象されてしまうのではないか、と思うのです。

本当は「わからなさに耐えながら」現実を注意深く観察していき、その構造の解像度が高まってゆくうちに、構造それ自身が持つ特徴から、朧げながら「こうかもしれない」という直感と共に最適解が見えてくるのではないか。

そんなことに思いを馳せながらの対談の場は、なんとも言えない贅沢なひと時でした。

「昇気(五気の一つで、頭部にあって上昇する正気)に、スヴァーハー」と唱えて、祭火の中に投げ入れるべきである。それによって、昇気は安らかとなる。

岩本 裕 編訳『ウパニシャッド』

昇気が安らかとなるとき、風は安らかとなる。風が安らかとなるとき、虚空は安らかとなる。虚空が安らかとなるとき、風と虚空とを支配する一切のものは安らかとなる。これが安らかとなるとき、人は安らかとなり、子孫・家畜・食物・威光・ブラフマンの栄光に富む者となる。

岩本 裕 編訳『ウパニシャッド』

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