「社会的ネットワークの中で独立している意見を見つけ出す」ということ。
今日は『ソーシャル物理学 - 「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学』(著:アレックス・ペントランド)より「アイデアの多様性を評価する方法」を読みました。
チームや組織が全体としてより望ましい判断や行動をとるために、情報やアイデアの流れを適切にして「集団的知性」を高めてゆく。そのネットワーク内での交流はどのようなパターンを示しているだろうか。メンバー間の交流が特定の階層やグループの中で閉じていないだろうか。
ネットワークが外にも内にも開かれていること。誰もが他社との間で気兼ねなくコミュニケーションを取ることができること。公式と非公式の障壁も超えて、網の目のように縦横無尽にネットワークが構築されているだろうか。問いを立てることで、自分が置かれている環境での交流のパターンの見え方が変わってきます。
ネットワーク内でループが数多く存在する。同じアイデアがぐるぐると回っている。外部とのチャネルがどれも似たようなものだったりする。同質化とも言えますが、共通の言語や価値観を持つことで、こと細かく決めずとも同じ方向に進むことができる利点はあります。
こうした状況は得てして心地良く、離れにくいかもしれません。同じ情報源(書籍をはじめとするメディアなど)に触れていれば共通の話題が展開される。お互いに結論や着地点が見えている中で、共感や同意が繰り返され、つながっている感覚を心地よく思う人は多いと思います。私自身もそうです。
だからこそ、同じ話ばかり繰り返されている状況に出くわした時に立ち止まり、「あれ?この状況って大丈夫?」と客観視できるようになりたいものです。
エコーチェンバーとは「共鳴室」を意味し、同じ意見が蔓延する状況を指しています。「アイデアと行動の間の依存度を記録する」との著者の提案は興味深いです。データと記録することで、ネットワークにおける情報やアイデアの流れを俯瞰視・客観視することができます。
「ではどうやって記録するのか?」という疑問について、著者は似たような意見を持つことが多い人々に注目することをあげています。似たもの同士の意見は依存性がある、つまりネットワーク内において密につながりあっている、と捉えることができます。
ネットワークのつながりが「ほどよく密で、ほどよく疎」であるとき、情報やアイデアがネットワーク全体を最もよく流れ、集団的知性が高まります。言うなれば「一人ひとりがつかず離れず野関係にあり、それでいて全体として一体感のある状態」となるでしょうか。
「似たもの同士の影響を取り除き、より独立した意見のみを絞り込む」との言葉から思うのは、「人それぞれに偏り(バイアス)がある」ということです。
誰かの意見を鵜呑みにするのではなく「本当にそうかな?」と問いを立てて考え直し、腹落ちすること。その過程はとても大切なように思うのですが、一方で「同じ意見を持つような社会的圧力」がそれを妨げてしまうかもしれない。
どうすれば社会的圧力を緩和することができるのでしょうか。なぜ発生するのでしょうか。人間の生物的な特性が関わっているのだとすれば、それはどのような特性なのか。社会的圧力という事象を通して「人間らしさ」を考えてみたくなりました。