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メタファー:身体経験を通して抽象概念を具体化するということ
日常会話の中で、自然と何かに例えて物事を伝えることがあると思います。「何かに例える」ことができなければ、不都合が生じるかもしれません。
たとえば、「重要」という表現は「重さ」の概念が使われています。「重い・軽い」の程度を身体経験を通して伝える。
重い物を持った時の感覚、軽い物を持った時の感覚。そうした感覚・記憶が呼び起こされて、物事の印象や意味の度合いを測ってゆく。
一人ひとり身体は異なるわけで、厳密には自分と他者が全く同じ身体経験をしているとはかぎりません。自分が「重い」と感じることが、相手にとっては「軽い」と感じることもあるかもしれません。
それでも「身体」というモノサシを媒介することで、他者との間で抽象的な概念を「具体化」して伝え合うことができる。抽象概念の伝える・伝わるが成立している。
そう考えると、人工知能のように「生身の」身体を持たない存在は「重要」という概念をどのように捉えているのだろうか(少なくとも人間と同じようには捉えていないのだろう)という問いが浮かんでくるのです。
メタファーは言語学的な装置 - 字義どおりには真実ではないが、より単純な別の概念を表す単語や句を当てはめることで難しい概念を理解できるようにしてくれる修辞的表現 - である。有名な『レトリックと人生(Metaphors We Live By)』のなかでレイコフとジョンソンが論じたのは、英語は普段は気づくことさえないメタファーに満ちているが、〔そのメタファーが〕われわれのコミュニケーションを形づくり、重要なことに、われわれの思考のしかたや行動のしかたを決定づけるということである。
他にも多くの種類のメタファーがあるが、概念メタファーと慣用句的なメタファーの間には重要な違いがある。概念メタファーは、発話や言語で常に一般的に用いられるとは限らない。むしろ、概念メタファーは抽象概念と具象概念をつなげるマッピングであり、具象的な身体経験を取り上げてそれらを抽象概念にマッピングするものである。「道徳とは清潔さである(morality is cleaness)」、「重さとは重要さである(weight is important)」といったメタファーは、それ自体は日常発話の一部ではないが、抽象概念についての推論を可能とする。