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あいだの多様性、多義性〜非対称性、方向、そして傾き〜

「人と人のあいだ」

語りながらも語られぬことがある一方、語られぬけれど語られていることがある。

そこには「伝える・伝わる」という対称性だけではない、「伝えていないけれど受け取られている」あるいは「伝えているけれど受け取られていない」という非対称性がある。

非対称性が向きを持つとき、「傾き」という形で表現されることがある。

水がたまった「鹿おどし」が傾き、倒れ、そしてまた元の状態に戻るように非対称性には「動き、動かす力」が内在している。

非対称性による運動の連鎖が持続的な円環を成すこともあれば、円環が途中で崩れてしまうこともある。

人と人のあいだにも「非対称性」が存在しているからこそ、その「あいだ」はたえまなく流動的であり、流れは自由に形を変えてゆく。

「あいだ」は多様であり、多義的でもある。

水に浮かぶ花弁や岸辺の松の形を際立たせる水がある。物を透かし見せることによってその色あいを際立たせる水に対して、この水は、光反射を主体とする水特徴によって、物の形と色を対比的に際立たせる。水は動きを伴った独特の光反射を行なう。水は継ぎ目を持たず連続一体である。水は他物とはきわめて質を異にする。これらの水特徴は、物の形を際立たせ、自らは地となる水のイメージを形成する。

鈴木信宏『水空間の演出』

『今昔物語』は、遺水に流されて際立つ梅の花を描写して「梅の花はちらほらと散って、鶯は梢で声美しく鳴いており、遺水に落ちた花びら流れて行く、その風情はまことに趣深い」と記している。『宇津保物語』は、錦のように美しく水の上にこぼれた花弁を歌って、「水のうへの花の錦のこぼれるは春のかたみに人結べとか」と記している。『年中行事絵巻』は、遺水に流れる花弁を眺め、水辺に笛吹く人々の楽しげな姿をよく描写している。

鈴木信宏『水空間の演出』

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