「ほんの少しだけ、緩めてみる」
ヨガに取り組んでいて思うのは、「限界を超えよう」として過剰に緊張すると身体は本来のしなやかさを失って、「いつも」のほんの少し先の可能性に手が届かなくなってしまうということです。
逆に、身体のしなやかさを損なわない範囲で挑戦し続けていると、いつしか「限界を超えられるかもしれない」「手が届くかもしれない」という予感がしてくる。
「もうこれ以上は無理だ…」という極限状態の中で挑戦を重ねてゆくことが決して無駄だとは思いません。
そのような経験が糧になることもあるはずです。
「限界」という概念に対して「境界線」のイメージを当てはめるとすれば、その境界からほんのわずかに内側で、全体の隅々にまで意識が広がっている実感のある範囲で、試行錯誤を重ねてゆく。
ほんのわずかの内側の、その「ほんのわずか」が境界へ限りなく近付いて、ふとした瞬間の「ゆらぎ」あるいは「偶然性」に導かれて境界の先へと至る機会が訪れる。
限界に対しては「突破する」とか「乗り越える」という言葉があてられますが、量子力学におけるトンネル効果のような一定の確率で「通り抜ける」というイメージのほうがじつは近いのかもしれません。
身体を「ほんの少し緩めてみる」ことは、「粒子的な身体」を少しばかり「波動的な身体」に近づけるようなものかもしれない。
もちろん、量子力学が取り扱うのは「極微の世界」における物理だけれど、身体のイメージが拡がってゆくことで「肉体」や「身体」という制約の中での「自由の手ざわり」を感じることができるように思える。