「計算」とは何を意味するのだろう。- 概念の多義性・共進化 -
日常生活の中で何気なく言葉を用いている。言葉を用いて何かを語るとき、それは得てして単語の組み合わせである。そして、単語を組み合わせるとは「概念」を操作することに他ならない。
では、実際のところ、概念についてどこまで深く分かっているのだろうか。辞書に記された定義を覚えたところで概念を分かったことになるかと言えば決してそうではないだろう。
生まれてから出会った物事との対応関係、具体と抽象を行き来しながら概念の射程、枠を定めてきたのではないだろうか。たとえば「美しさ」も一つの概念だけれど、「美しい」が何を表すのかは人それぞれの歩んできた歴史、経験、文脈に依存している。そのように考えると、抽象的な概念に対して、どれほどの豊かな具体の集積が紐づいているのかが大切であるように思う。
この後でいくつかの言葉を引くのだけれど、「計算」という概念も、じつに様々な意味を含む概念だということに驚かされる。
「計算」とは一体何を意味するのだろうか。+-×÷。四則演算のことだろうか。具体的な手続・操作としての四則演算ができれば、まず日常生活に困ることはない。一方、四則演算が「計算」と概念的に等価なのであれば、四則演算で事足りるわけで「計算」という言葉は必要ないようにも思えてくる。
ここで、日本語の「計算」に対応する英語として、computationとcalculationの2つが挙げられている。ここで気付くのは、言語体系によって世界に存在する数多の意味をすくい上げる、あるいは概念を構成する単語のきめ細やかさが違うということだ。
computationの語源はラテン語の語根putareであり「思う・考える」を意味するのだそうだ。日本語の「計算」が英語の「computation」につながり、そして「computation」がラテン語のputareにつながる。完全一致で重なるわけではないかもしれないけれど、たしかに重なっている。そう考えると、計算には「思う・考える」という意味が含まれると捉えることができるわけだけれど、このことは私が思っていた「計算」概念の枠組みを驚きと新鮮さを伴って押し広げたように思う。概念の「枠」は固定的ではなく、流動的で自由なのだ。
ルーツ(Roots)とは「根」を意味するのだけれど、ルーツをたどることは気付かなかったことに気付く機会なのだとあらためて。そして、複数の世界を行き来することもまた、概念の枠組みを広げてゆく機会なのだとも思う。概念は二重らせんを描くDNAのように、その概念を取り巻く他の概念と絡み合いながら「共進化」してゆく性質を持っているように思える。