中村桂子さんの著書『生命誌とは何か』を読み進めていると、私がこのnoteで徒然なるままに綴っていることが、もしかすると一つの「生命誌」なのではないかと思いました。
感じたこと、特に身体を通して直観した「ありのまま」を、言葉に降ろしてゆく。自分の感覚や体験に、先人が築いてきた知識の体系、紡いできた言葉を重ね合わせて、織物のように綴っていく。
その過程を通して、「生きているということ」が自分事として感じられるようになる。自分自身が生きているということだけでなく、「万物の通奏低音」としての生きているということ。
中村さんは生命誌に「学問と日常、つまり知識と体験の一体化」という願いを込められています。そして、科学の特徴である積み上げ方式に従って、「生命現象についての先人の成果を百パーセント活用しながらそれらを乗り越えていこう」と。
ヨガや音楽、言葉、自然科学。
好奇心、直感に従ってブリコラージュ的に拾い集めて、自分の内側にしまっておくと、時間と共に混ざり合い、発酵して、何かのきっかけで「こうかもしれない」と表に出てくる。
これからもそんな瞬間に出会い、紡ぎ、綴ってゆく。「生命誌」という織物を織り続けてゆくことが私の生き方なのかもしれません。