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生命、生物の根幹をなす「調節する力」〜細胞に学ぶつながりのあり方。物理的なつながり・情報的なつながりを両立すること〜

「生命、生物を"つながりあい"として捉える」

私たちが日常的に使っている「つながる」という言葉。わかっているように思える言葉ほど、意外にわかっていないものです。

書籍『生命誌とは何か』のなかで、生物を構成している数多の遺伝子を調べていくと、その大半の役割は「調節」にあると記されていました。

私たち人間は複数の細胞から成る「多細胞生物」で、細胞と細胞がつながりあっています。

ここでの「つながる」とは、「物質的なつながり(接着する)」「情報的なつながり(変化を伝えあう=伝えて受け取る)」の二種類から成ります。

興味深いのは、物質的なつながりだけでは、細胞のつながりとしての機能が発現しないということ。つまり「生命を上手く維持できない」ということです。。

逆に言えば、物質的なつながりを基盤とした「情報的なつながり」が重要な意味を持つということ。

これは社会や組織、家族、友人関係などにも言えることかもしれません。

たとえば、細胞における物理的なつながりは、家族関係においては「血のつながり(血縁関係・遺伝子的なつながり)」に対応するかもしれません。

一方、血縁が「家族関係」において必ずしも必要なわけではありません。

たとえ血がつながっていなくとも「家族」になることができる。同じ時間と空間を共有する、目的や役割を共有する、想いや感情を共有する。たとえ、物理的なつながりはなくとも、深い「情報的なつながり」が新しい家族関係をかたち作ります。

情報という言葉はいささか機械っぽさを感じますが、私は「感情の報せ」と思っています。感情の報せ(しらせ)と書いて情報と読む。「心の動き」ということですね。「人と人のつながり」という文脈では、情報を心の動きとして捉えることに意味があるように思います。

感情にも「私はこう思う」と明確な感情もあれば、「どう表現すればよいかわからない」という複雑な感情もあります。言い換えれば、実際の声と声にならない声の両方がある。

生物のつながりにおいても、時に細胞は複製誤りを起こすことがあり、それを自ら察知して修正しようとする。それは自らの自然死(アポトーシス)という形かもしれないし、それ以外の方法かもしれない。

この正常な状態に向かって軌道修正する力、己を振り返って正していく力が働いていてこそ、生命や生物は自らの「かたち」を維持することができる。

つながりの中に含まれるエラー、誤り、雑音、ノイズ。

これらを全て「ゆらぎ」として包括的に捉えるならば、「ゆらぎ」を排除するのではなく、ゆらぎを新しい状態に向かう機会として捉え、自らを調整するように促していく。

私自身の「健康な状態」と言っても、自分の身体はたえず変化し続けている中において、昔の自分にとっての健康と、今の自分にとっての健康は必ずしも同じではありません。

そう思うと「正常な状態」とは固定的なものではなく、その正常さそのものも変わっていく、再定義され、更新され続けるものなのかもしれません。

そのためには、過去に固執するのでも否定するのでもなく、過去から学び、今を振り返り、ほんの少し先の未来に想いを馳せていく。

生物の進化、多様化では「小さな変異の積み重ねが大きな変化をもたらす」ことを踏まえると、「調節する力」つまり「しなやかさ」こそが生命、生物の根幹なのだなとあらためて思えてきます。

日々是、内省とストレッチです。

ここでまた生物学に戻りましょう。オサムシのところで生きものの形を決めるスイッチ役をする遺伝子があるらしいことを見ました。同じ昆虫でもあるショウジョウバエでは、一万二〇〇〇個あるとされる遺伝子のうち、体の形を決める基本の遺伝子はごく少数で大部分は遺伝子のはたらきや細胞間の相互作用を制御する遺伝子であることがわかってきました。ものをつくることも大事だけれど、それをいつ、どこで、どれだけつくるかという調節がより大事なのです。それが生きものの巧みなところです。ここでもまた、私たちの社会もこれがうまくできれば、不要な廃棄物などたまらないはずなのにと思います。

中村桂子『生命誌とは何か』

たった一個で生きていた細胞が多細胞生物をつくるようになった時に新しく獲得した性質は、お互いが接着することと細胞間コミュニケーションです。カイメンや栄養状態が悪くなりアメーバ状態を止めて集合する時の細胞性粘菌などではすでに接着が見られます。分裂した細胞が離れて独立せずに一緒にいるようになるわけです。

中村桂子『生命誌とは何か』

細胞をくっつけるものはなにか。発見されたいくつかの分子の中で最もよく知られているのがカドヘリンです。さまざまな生物で、この物質が接着の役割をしており、しかもそれは単に物理的につけるだけでなく、情報伝達の役割もしていることがわかってきました。生物が面白いのは、構造とはたらきとが常に関連していることです。接着剤は接着剤、情報伝達は情報伝達となっていない。その結果、細胞が構造の単位でありながら機能の単位であるというみごとさを示すのです。私たちがつくる機械はこうなっていません。ここでも生物に学ぶことが出てきました。

中村桂子『生命誌とは何か』

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