響き、事的、そして心。
胸に響く、心に響く。
何かの物事に感動したとき、時に私たちは「響く」と表現します。ですが、よくよく考えてみると、なぜ「響く」と表現するのでしょうか。
「響く」から真っ先に連想するのは「音」だと思います。音が響く。
音とは何かといえば、物理的な「空気の振動」です。「音楽に感動した」ということであれば、物理的に調和した音が身体に届き、物理的に身体が振動します。ですので「音が身体に響く」という流れはたしかに存在します。
音楽を例に出しましたが、音も心地よい音もあれば、不快な音もあります。物理的には同じ現象であるにもかかわらず、受け取る側で湧き上がる感情は様々な色彩があります。
不協和音も時に音楽の美しさを引き立てたり、それ自体が美しさを醸し出す事があることを思い返せば、音も感情も単色ではなく、様々な色合いや質感が重なりあっているように思います。
「心」が先に存在するのではなく、こうした重なり合い、共鳴という「事」が起こっているならば、そこに自分の内側に響きあっている「何か」があるに違いない、そしてそれを「心」と呼ぶのではないでしょうか。
心を「物的」に捉えるのではなく「事的」に捉えてみるほうが、なんだか私には自然に感じられるのです。
高木正勝さん(映像作家・音楽家)がエッセイ集『こといづ』の中で「音」について述べられていたので、自分に降りてきた言葉や問いを綴ってみました。