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伸縮、相反、そして調和〜有限を保つ同時性に意識を向ける〜

「伸縮の同時性」

いつものようにヨガに取り組んでいると、「どこかを伸ばすためには、同時にどこかを縮めなくてはならない」と身体を通して感じます。

自分の肉体の大きさは有限で、「縁」あるいは「端」を持っていて、物質的な肉体としては無限に伸びたり、大きくなることはできません(少なくとも、現代の科学技術では…)。

たとえば、真っ直ぐに立って「側屈」をしてみます。

右側に身体を傾けていくと、左側面の皮膚や筋肉がゆっくり、じっくりと「伸びる」わけです。

と同時に、右側面は「縮む」わけです。

「後屈」をしてみると、胸周りを中心に前面が伸びながら広がってゆき、と同時に後背部が縮んでいきます。

「身体という空間」はその大きさが有限であるからこそ「伸びる」と「縮む」といったように、相反する事象が同時に生起してその有限性が保たれます。

「相反の同時性」が「調和を下支えている」のかもしれない。

「空がゆえに満ちている」あるいは「簡素がゆえに豪華」など、「相反」は日常生活を豊かにするヒントを与えてくれるようにも思います。

数学的の言葉を借りて云えば、各個人、市民、あるいは国民がある現象に対して利害を感ずる範囲は時間と空間とより組成されたる四元空間中において、ある面にて囲まれたる部分にて示す事を得べし。この部分は単独なる場合も、数個なる場合もあるべし。自然現象の予報もまた同様に、時と空間のある範囲内に指定する時に始めて意義あるものとなる。例えば明日中某々地方に降雨あるべしというがごとし。これらの予報が普通世人にとりて実用的価値を有するための条件は、思うに「その現象のために利害を感ずべき個人あるいは団体の利害を感ずる範囲領域の大さに対して、予報の指定する範囲の大さが比較的大ならず、かつ前者に対する後者の位置の公算的変化の範囲の小なる事」なり。

寺田寅彦『万華鏡』

具体的の例を挙ぐれば、東京市民にとりては「明日正午まで京浜地方西北の風晴」と云い、あるいは「本日午後驟雨模様あり」というがごときは多数の世人に有用有意義なり。またもし「一週間内に東海道の大部分に降雨あるべし」との予報をなし得たりとせば、東京市民にとりてきわめて漠然たる印象を与うべし。これ予報の範囲が東京市民の日常生活上雨に関して利害を感ずる範囲に比してあまりに大なるがゆえなり。しかれども連日雨に渇する東海道の農民にとりてはこの予報は非常の福音たるに相違なかるべし。

寺田寅彦『万華鏡』

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