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「身軽」であるということ

E・F・シューマッハ(イギリスの経済学者)による書籍『スモール・イズ・ビューティフル - 人間中心の経済学』の「第二部 資源」より「第五章 人間の顔をもった技術」を読み進めています。

今日は「身軽さ」について。一部を引用してみます。

中間技術を創りあげ、これを一般の人たちの目に見え、手の届くものにするには、それに必要な知識はすべて揃っているとはいえ、なお体系だった創造の努力が必要である。私の経験では、技術に直接性と簡素さを取り戻すことは、これをいっそう複雑にするよりも難しい。しかし、簡単にするには、ある種のヒラメキがいる。こういうヒラメキは、生産現場を知ろうとせず、つねにものごとの定量と限度をわきまえている自然界の均衡を知ろうともしない人びとには、なかなか起こるものではない。
ヨーロッパ経済共同体のもっとも優れた首脳の一人であるシッコ・マンスホルト博士が、おそらくこのグループの代表といえるだろう。博士は「今日の社会の合い言葉は、『もっと多く、もっと遠く、もっと早く、もっと豊かに』である」と述べている。
民衆が抗議の声をあげ、反乱を起こすなら、警官を増やし、その装備を強化すべきだ。環境問題があるならば、公害規制法をきびしくし、公害対策費用を捻出するために経済成長を早める必要がある。天然資源が問題ならば、人造資源を考えればよい。化石燃料に問題があるとするならば、原子炉を高速増殖炉に変え、核分裂から核融合に進もう。解決できない問題などないのだ - 。猛進派のスローガンは、毎日の新聞の見出しに現われ、「一日一つの技術革新、これで危機は避けられる」と呼びかけている。

「一日一つの技術革新、これで危機は避けられる」

この一言は、とても考えさせられます。

「技術革新は本当に問題を解決するのだろうか?」
「そもそも技術革新とは何だろうか?」

反乱に対しては、警官を増やす。環境問題が起きるならば、公害規制を強化する。天然資源が枯渇するならば、人工的な資源を生み出す。

いずれの事例も「対処療法」のように思えます。それこそ「モグラ叩き」のようです。

「なぜ反乱が起きるのだろうか?」
「なぜ環境問題が起きるのだろうか?」

「問題が生じる原理・真因へ迫らなければ、根本的な解決には至らない」ということは、多くの人が気付いているのではないかと思います。それでも、なかなか変わらないのは「慣性の法則」が働いているからではないでしょうか。その慣性を生み出しているのは、人の心理であり、社会制度・経済体制などの構造にあるように思います。

「現在の生活が便利で楽だから変えたくない」
「経済成長により増えた富を問題解決のための技術に再投資すればいい」

そうした現代に生きる人の心の「慣性」が働いているとすると、何かの力を作用させない限り、人が向かう道筋(軌道)は変わりません。物理法則(運動方程式)を引用すれば、軌道を変えるためには「大きな力をかけるか」あるいは「(小さな力で軌道が変わるように)身軽になるか」のいずれかとなります。

「もっと多く、もっと遠く、もっと早く、もっと豊かに」という言葉からは「より大きな力をかけ続ける」というニュアンスを感じるのですが、それで問題が解決するのかと言われると疑問に思うところもあります。

ではもう一つの選択肢「身軽になる」にはどうすればいいのでしょうか。そのヒントは「もっと(more)」の反対、つまり「より少なく(less)」にありそうです。

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