モノの気持ちになってみる
今日は、三谷龍二さん(木工デザイナー)他による書籍『生活工芸の時代』より「ティシュケース」という節を読みました。本節の表題は、三谷さんが愛用している、土屋恵美子さんによる布製のティシュケースからです。
それでは、一部を引用してみたいと思います。
生活自体が変化すれば、そこで使われる生活工芸も変化しないわけにはいかないでしょう。ひとつの方法は伝統文化を守って、作り続けることですが、そこで問題なのは、作られたものは「工芸品」ではありますが、高級なものになり過ぎて人々の暮らしと乖離したものになってしまうということ。つまり「生活品」ではなくなってしまうことです。だからもうひとつの方法として、今の生活に必要なものを新たに考えて作ることが必要になってきます。現代の生活と伝統技術を結びつけた、生活工芸品を作る道です。
土屋恵美子さんのティシュケースを見たとき、自分たちが欲しいと思っていたものを作ってくれた、とうれしく思いました。以前から部屋の中で目障りだと感じていたティシュボックスの存在が、とても美しい布に包まれ、長い間懸案としてあったことが、鮮やかに問題解決したからでした。そしてそれは、単に部屋の中のティシュケース問題の解決だけではなく、布の新しい使い方であり、可能性への糸口のようにも僕には見えたのでした。
土屋さんは布がとても好きな人です。布地が織り上がった後も、それを眺めたり、触っている時間が多い、と言っています。そうしている時に「ティシュをこういう風にくるんだら」と思い、このティシュケースが生まれたそうです。個性の表現というのではない、もっと暮らしに寄り添ったもの作りの姿勢が、土屋さんの仕事から伝わってくるのです。
日常生活の中で「ティシュケース」が気になることはありますか?
今回紹介されていた、土屋恵美子さんによる布製のティシュケースの写真を一目見た瞬間、柔らかで温もりが伝わってくるというか、身近に寄り添ってくれるような、そんな印象を受けました。
土屋さんは布が大好きで、布地が織り上がった後も眺めたり触っている時間が多いとのことですが、どのようなバックグラウンドをお持ちの方なのでしょうか。
土屋さんが営まれている「つちや織物所」に記載されているプロフィールを拝見すると、ご自身の衣装製作のための布地を作るところに原点があるとのことでした。
旅館を営む母の着物姿を毎日見て育つ。学生時代に民族舞踊に打ち込み、その衣装作りのため布を求め、ミシンを踏むようになる。欲しいもの、必要なものを探しても自分にとって良い塩梅のものが見つからぬことが多く、自分で作ることたびたび。それが布作りになり、さらには糸作りにつながっている。
「しっくりくる」
この言葉がここでも降りてきました。試行錯誤しながら、土屋さんの中の「しっくりくる」を見つけられているのだろうな、と。
「ティシュをこういう風にくるんだら」
素材を触れたり、眺めたりしているうちに、くるまれるティシュの映像が頭に浮かんできたんでしょうか。
「いつも箱だったりビニールに入って窮屈でしょうに...」
ティシュケースというよりも、それこそティシュの「衣服」のように見えるのは私だけでしょうか。ティシュも温かそうです。
「今の生活に必要なものを新たに考えて作る」と言われると、なかなか想像しにくいですが、「モノの気持ちになってみる」とよいのかもしれません。
布のティシュケースからティシュを取り出す時、ティシュの温もりも一緒に心地よさとして受け取るのかもしれない。そんなことを思いました。