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カッコ( )を見つけるということ

今日は蔵本由紀さん(物理学者)による書籍『新しい自然学 - 非線形科学の可能性』より「周縁制御の原理」という一節を読みました。一部を引用してみたいと思います。

先に述べたポラニーの創発概念は、近年の複雑系の科学に関連してもしばしば言及される。(中略)彼が引き合いに出しているいくつかの例ないし喩えは次のようなものである。レンガづくりの技術はレンガの原料に依存はしているが、後者から技術を導き出すことはできない。同様に、レンガつくりの上位にある建築家はレンガつくりの仕事に依存しており、さらにその上には都市計画者がいる。
これら四つのレベルにはそれぞれ固有の規則があって、それらは下位の方から、物理化学の法則、レンガつくりの工学、建築学、都市設計の規則、である。そして上位の規則は下位の規則に依存するが、そこからは導き出せない。このように、現実界は一般に階層構造をなしていて、上位レベルにいくごとに下位レベルの法則によっては表現できない組織原理が現れる。これを創発という。
また、単語の意味は文脈によってさまざまに変わるから、単語を孤立的に取り出してその意味を確定することはできない。したがって、単語の意味は可変部分についてはブランクをともない、不変部分だけが示されるのである。このように見てくると、ここにいう創発は先に述べた「基本法則の逐次的実現」とほとんど重なるのである。下位レベルの法則におけるブランクへのデータ入力を「周縁制御」とよんでも一向に差し支えない。

下位の規則からは導くことのできない上位の規則

下位から上位に向かう「レンガの原料 → レンガづくりの技術 → 建築 → 都市計画」という階層性。

この階層性は「個体から群れ(系)へ」という言葉で表現できると思います。群れでは、ふるまいの性質が質的に非連続的に変化していくのです。

楽器演奏を例にとってみると「楽器 → ソロ → アンサンブル → 合奏」という形態変化として捉えることができそうです。

演奏する人数が増えるほど、個としての存在を保ちながらも周囲との調和が必要とされます。複数の楽器が同じ主旋律を奏でるならば、個々の楽器の音がバラバラに聴こえるのではなく、互いに融けあって一つの音として聞こえてくる。その一つの音から個々の楽器の音を取り出そうと思っても取り出すことはできないのです。

そのような響き、一矢乱れぬ演奏は個々の奏者の確かな技術が必要とされるわけですが、個々の奏者が技術的に優れているからといって必ずしも全体として調和が生まれるとは限りません。

私は吹奏楽の中でアンサンブルや合奏に取り組んできましたが、特に技術的難度が高い曲では自分自身の余裕が出てきたとしても、周囲と合わせられるようになるのは本番直前であることが多いです。

何度も何度も合わせる練習を重ねて、録音を聴いては「ああ...ズレてる...」と反省と調整を繰り返すことで、ようやく一つの演奏としてまとまります。個人練習では決して経験することのできない「呼吸を合わせる」という質的な経験の飛躍がなければ、グループとしての演奏は成り立たないのです。

どのような環境においても調和した響き、演奏を奏でるプロの奏者の方々には本当に尊敬するばかりです。

「上位の規則は下位の規則に依存するが、そこからは導き出せない」
「上位レベルにいくごとに下位レベルの法則によっては表現できない組織原理が現れる」

このように考えてくると、下位と上位の非対称性は「個体間の共鳴・調和・連動性」によるものだという実感が湧いてきました。

カッコ( )を見つけるということ

「言葉は文脈によって、その意味を変える」

この言葉を読みながら、次のような問いや言葉が降りてきました。

「自分はどれだけのカッコ( )に気づいているだろう?」
「自由に変わるもの、可変なものを( )でくるんでみよう」

「意味」というのは、確定的に捉えることが難しい言葉のように思います。
「"意味"の意味とは何だろう?」という問いを立ててみると尚更です。

言葉の意味を捉えることの難しさは「文脈が変われば、意味も変わる」点にあるということは、単語の意味を関数として表現できるのかもしれません。

単語の意味 = f(文脈)

ブランクという言葉は、日本語では「空白や括弧()」となるわけですが、数学やプログラミング言語などで関数を表現するとき、まさに「変化させる値(変数)」をカッコ( )でくるむのです。

何かに行き詰まったり、悩んだとき。何かを発想したいとき。まずは( )に気づくこと、作ることからはじめてみよう。その( )の中身は無数にあるはず。

そんなこと思いました。

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