「いってきます」と「ただいま」「おかえり」
※この記事では2011年に発生した東日本大震災について言及しております。ご注意ください。
「すずめの戸締まり」について書いた記事の続きというか、書きこぼした物の第一弾。
クライマックスラストのシーンについて思ったこと。
東日本大震災が起こったのは14時46分。3月11日は春休み前の平日で、学校や仕事に行っていた人が多い時間帯だ。
当時の僕は18歳で、大学合格が決まり、家にいるか、自動車学校に行くか、祖父母と出かけているか、そんな時期だった。
きっと当時の東北にも、僕と同じように、春からの大学生活に胸を膨らませていた18歳もいたことだろう。
受験勉強から解放された自由を自宅で堪能していただろうか。
友達と過ごす最後の春休みのひと時を持っていただろうか。
大学生活に向けて準備のために忙しく出回っていただろうか。
そんな命が、失われたのかもしれない。
朝、「いってきます」と学校や仕事へと出て行った家族が、最後に見た姿になった人もいただろう。
彼らが「ただいま」と帰って来ることはなく、「おかえり」と迎えることもできなくなってしまった。
「すずめの戸締まり」のラストシーンでも、たくさんの人の「行ってきます」が描かれていた。
その中には「いってきます」と家を出るお母さんを見送る鈴芽の姿もあった。
「ただいま」と家に帰ることが、「おかえり」と家族を迎えられることが、どれだけ幸せなことか。
我が家には僕が中学生の頃から飼っていたトイプードルがいた。
名前は愛という。
愛は、昨年の夏に亡くなった。
本当に僕のことが大好きで、毎朝、階段の下に座って、僕が二階から降りてくるのを待っていた。
僕が家に帰るといつも玄関で待っていた。
「おかえり!私を置いてどこに行っていたの!?」と言わんばかりに飛びかかってくる愛。
僕が仕事のために家を出ようとすると、玄関まで見送りに来ていた。
「どこ行くの?私を置いてどこ行くの?」とそんな言葉が聞こえてくるような姿だった。
愛が亡くなったその夏、僕は二週間の出張中だった。
出張に発つ朝、しばらく会えなくなる愛を膝の上に乗せて、「行ってくるね」と言い聞かせていた。
母曰く、僕が出張に行ってからも、愛は夕方になると玄関に出ていき、朝は階段の下でずっと二階を見つめていたのだそうだ。
亡くなったその朝も、二階から僕が降りてくるはずもないのに、階段の下から動こうとしなかったらしい。
愛が亡くなったと連絡を受けた僕は、出張先に無理を言って一時帰宅した。
あの時のことは忘れられない。
朝ごはんが喉を通らなかった。自宅まで帰る間のことはほとんど覚えていない。
いつも僕の帰宅を迎えてくれていた元気な姿はなく、横たわって毛布にくるまれている動かなくなった愛を僕は受け入れられなかった。
目が腫れるくらい泣いた。翌日以降も気を張っていないと涙がこぼれてきた。
出張を終えて帰ってきても、僕を「おかえり」と迎えてくれる愛はいないのだ。
「ただいま」とその小さくて可愛らしい頭を撫でることはできないのだ。
僕が出張に行っていなければ、愛を少しでも寂しがらせずに済んだのだろうか。
少なくとも、階段の下で待っている愛を「おはよう」と抱き上げられただろう。
今でも、愛のことを思い出すと少し悲しい気持ちになり、涙が出てきてしまう。
この文章を書きながら涙が止まらない。
「いってきます」と家族に言って家を出ること、「ただいま」と言って家に帰れること、「おかえり」と自分の帰宅を迎えてくれる家族がいること。
当たり前のように思いがちなことだけれど、その当たり前が当たり前ではなくなってしまうかもしれないと、当たり前に感謝をして生きていきたいと思う。