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日本の教育が本質的でない問題

公認会計士の三浦真です。

本稿では、日本の教育について、これまでの経験を通じて感じた課題について、書きたいと思います。

高校生の大学入試は予備校が教え、大学生の国家試験は専門学校が教え、従業員の社員教育は外部研修会社が、教えています。

これ、構造的におかしくないですか。

これを私は「日本の教育が本質的でない問題」、と呼んでいます。

教育に責任を負う者が、教育を考えなければならない時に、普段、本質的な教育をしていないので、どうしたら良いか、分からなくなっています。

人事部のみなさん、会社の社員教育、うまくいっていますか。

みなさんの会社の教育は、本質的でしょうか。  

「日本の教育が本質的でない問題」が、日本全体を覆っていますから、大変な会社が、多いのではないかと、推測します。

以下、もちろん、他の考えも、また例外もあるとは思いますが、私の体験から来る、私見を述べさせていただきます。

大学入試に見る教育の欠落

まず、日本の大学入試です。

良い大学に入るために、多くの学生が、予備校や塾に通っています。おかしくないでしょうか。  

高校で学ぶべきことを学び、高校だけで、東京大学や京都大学といった大学に合格する学生は、ほんの一握りです。

多くの学生は、学校の授業だけでは足りないと感じ、外部の教育機関に頼らざるを得ない現状があります。

私は、県立横浜緑ヶ丘高校出身ですが、高校3年の日本史の授業は、古代からはじまり、江戸時代で卒業になりました。学生に教育を提供するという契約があるとして、債務不履行ではないかと思います。

高校は何をしているのでしょうか。高校教育の目的は、大学に入るための学力をつけることではないのでしょうか。

多くの高校生が学校外で学習しなければならないのはなぜでしょうか。

部活をがんばるとか、友人関係を育むなど、高校の機能はありますが、今になって言えることですが、なぜ、高校にお金を払うかと言えば、いい大学に入れて欲しいという思いが強い、という親が多いのではないでしょうか。

この現状を目の当たりにすると、高校が真の教育機関として機能しているとは言い難いと思えてなりません。

本質的には、予備校や塾が教育をしているのではないかと思います。残念に思います。

資格試験と大学

次に、公認会計士試験の例です。

東京大学で会計学を学んでも、それだけでは公認会計士試験には、合格できません。

多くの大学生が、大学外の専門学校、例えばCPA会計学院や、TAC、大原といった専門学校に通い学習をしています。私自身も、このプロセスを経てきました。

一橋大学や、慶應義塾大学の商学部であっても、大学だけの学習では、公認会計士試験には、合格できません。なぜでしょうか。

本質的な教育機関であるならば、学生が試験に合格できる知識を教えて欲しい。ここでも、教育の本質が見失われているように思います。

ダブルスクール、という言葉があります。

大学生が、国家試験合格のために、専門学校に通うことなのですが、これが公認会計士試験では、常識になっています。

大学の先生はご専門の研究をしておられます。

国家試験については、本質的な教育は専門学校が担っています。

企業における教育の外部依存

最後に、企業における教育についてです。

日本の企業は、新入社員を採用した後、その教育を外部の研修業者に委託するケース多いと思います。

人材育成は、企業にとって極めて重要な課題です。教育とは、企業文化や理念を共有し、従業員一人ひとりが会社の目指す方向性を理解し、共に成長するための機会であるべきです。

それなのに、外部業者に委託してしまうのは、課題を感じます。

管理職に昇進した後の研修も、私は、かつて監査法人トーマツ時代、外部人材会社の研修を受けました。自社内で教育を十分に行わず、外部業者に任せる現状に疑問を感じます。

これは、大学や高校の教育と同様に、本質を見失った教育の典型例ではないかと、懸念しています。

本来ならば、企業自身が、自らの目標や課題に基づいて教育プログラムを設計し、社員教育を実行する必要があると考えます。

それができていないということは、企業が教育の本質を理解していない証拠なのではないでしょうか。

本質的な教育のために

先日、顧問先の社員教育について熟考していた際、この国では、教育する側の人が、教育をしていない構造があることに、気がつきました。 

気がついた瞬間、私は、本当にがっかりしました。

教育とは、知識を与えるだけの行為ではありません。人間を成長させ、自らの力で考え、問題を解決する能力を育むプロセスと考えます。

高校も大学も企業も、教育というものを改めて、見直し、その本質に立ち返ってほしいと思います。

やや青臭いですが、教育の目的は何か、教育の受け手に将来どうなって欲しいか、また、教育の受け手の強みは何で、どうやって生かすと幸せに繋がるかなどを真剣に考えないと、何を、どう教えるか、分からないと思います。

「日本の教育が本質的でない問題」、これに取り組むことは、決して簡単なことではありません。

しかし、教育を変えることができれば、個人も組織も、さらには国全体も、より良い未来に向かって進むことができる、と考えます。

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