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『音楽の海』ナーダ(音響)の生成

13世紀インドの音楽理論書『サンギータ・ラトナーカラ』(音楽の海) の2章「胎生学・解剖学・チャクラ」に続いて、
3章では、人体内でのナーダnāda (音響・声)の発生のプロセスが解説されます。

魂(自我)が発話しようと欲し、体内の火を突き動かす。
(体内の火、とは、身体の熱を生み出す“消火の火“ のことで、下腹部のところで燃えている、と言われます。)
火は、風(気息)を刺激する。
風は、突き動かされ、臍にある“梵天の結び目“ (brahma-granthi) から、上方に進んで行き、
順に①臍 ②心臓 ③喉 ④頭蓋 ⑤口腔にて、音響を生み出してゆく。

臍からはじまるこれら5部位において、音響は、
① 極めて微細な音 (ati sūk.sma)
② 微細な音 (sūk.sma) 
③ 豊かな音 (pu.s.ta) 
④ 豊かでない音 (apu.s.ta) 
⑤ 人造の音 (k.rtrima) 
という5種類の形になります。

初めは、発話したいという意志に過ぎなかったもの(潜在的な音)が、
極めて微細な音の響きとなり、
さらに微細な音が、次第に増幅されていき、“豊かな音"になります。
"豊かでない音“というのは、分かりにくいですが、文脈から判断すると、音響が頭蓋という障壁(共鳴器)によって物理的に限定される、ということのようです。
"人造の音"とは、口腔内で舌・歯・唇などを用いて調整されて発音されるからそう呼ばれるのだそうです。

古代インド音楽理論では、オクターブは22個の微分音 (śruti, microtone) から成る、ということになっています。これら22微分音が生まれるプロセスは次のようです。

心臓から垂直に伸びる主要な気管に繋がって、
22本の気管が、胸郭内に、斜めに延びている。
気息がこれら22本の気管を打っていくとき、
順番に22の微分音が生じる。

つまり、人体は一種の弦楽器のようなもので、
胸郭を共鳴胴として、22本の気管が弦のように斜めにピンと張られている。
臍から上方に昇ってくる気息が、
これらの気管に衝撃を加える際に、22種類の音を立てる。
それは、あたかも指で竪琴の弦を爪弾くごとくである、というのです。

人体はヴィーナー(古代インドの弦楽器)のようなものだとよく言われます。
現在インドで使われているヴィーナーという名称の弦楽器は、シタールやリュートのような長棹の撥弦楽器ですが、
この箇所で想定されている古代のヴィーナーは、
ハープ系の弦楽器(竪琴)、ちょうど、ビルマの竪琴や、正倉院御物の箜篌(くご)のような形をしていました。
上のような、胸郭内に斜めに張られた22本の気管は、このような古代の竪琴をイメージしているのです。


古代のヴィーナー


ちなみに、アーユルヴェーダでは、気管、血管・リンパ管、神経、腱などを厳密には区別していません。
ここで気管と訳した原語はナーディーnā.dī は、
脈管とも訳され、
呼吸気管なのか、血管なのか、明確に区別されているわけではありません。


ところで、私はこの記述を初めて読んだ時、
むしろ、心臓に繋がる22本の気管の中を気息が吹き流れ、音が鳴る、その際にパン・パイプや笙あるいはパイプ・オルガンのような図を想像したのですが、
どうもそういう解釈はないようです。そういう図も不可能ではないと思うのですが、どうでしょうか。

ちなみに、この、人体は弦楽器である、
という考えは、インド中世の宗教詩にも
あちこちに現れます。

たとえば、15世紀の神秘詩人カビールは、
次のように歌っています。

私の身体の全ての血管は、弦
身体はラバーブ
つねに憧憬の旋律を奏でる

ラバーブとは、インド亜大陸北西部に伝わる弦楽器で、古典弦楽器サロードの前身であると言われます。
ラバーブは、木製の胴体に山羊皮が張られ、
弦はもともとガット(腸弦)が使われていたので、
それを、皮と腱で覆われた人体になぞらえたのです。

はるか彼方にいる恋人を想って、愛の歌をうたう、
そのことを、このように表現しています。

しかし、この詩には隠された裏の意味があります。
次のようにヨーガ神秘主義的に解釈することも可能です。

楽器の内部は空洞である。そのように、瞑想によって自分を空っぽの状態にすると、
アナーハタ・ナーダつまりコズミック・サウンドが聴こえてくる。

「私の身体が奏でる憧憬の旋律」が向けられる相手は、
超越的な存在のことなのです。

ラバーブ



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