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小説_『何のために』
この小説は約2分で読めます。
"何のためにここにいるんだ"と僕は思った。
そんなことを考えていたら、小説を書いていた。
「おはようございます!」
と僕は元気よく返事をした。
「おはよう! 今日も元気だな」と上司は挨拶を返した。
そして、いつものように冗談を言ってきた。
何でもない冗談だ。(言ってきた内容を全く覚えていないので、ここに掲載することができないが……。)
上司が冗談を言ったら面白い返しをしなければならない
という"謎の義務感"が発生する。上司を常に心地よい気分にする。
それがサラリーマンの暗黙のルールだ。
なんで朝からそんなに元気なのか。
上司のボケに対し、僕は無理やりテンションを上げて返した。
返答した内容も覚えていないし、おそらくここに掲載する価値すら無いだろう。が無い。
僕の返答に上司は
「はははははは!」と喜んで笑った。
──僕も笑った。
でも、心の中はぐったりしていた。
僕はこんなやりとりが苦手だ。
あくまでも仕事上の付き合いがあるだけで、
無駄なコミュニケーションを取りたくない。
ただ、仕事自体は嫌いではない。
現状の分析を入念に行って、今よりも良い状態へ、あるべき姿に向かって取り組んでいくのは好きだ。
ただネックなのが、この無意味なコミュニケーションだ。
日頃から冗談を言い合い、週に2~3回は上司と飲みに行き、休みはゴルフで潰れる。
順調に出世しているはずなのに、付き合う幅が大きくなり、相対的に出費も増える。だから結局のところ、経済的な余裕は変わらない。
もし、このようなコミュニケーションを怠った場合、仕事がやりづらくなってしまうだろう。
このある意味で"無駄な"コミニュケーションはサラリーマンの必須条件ではないかと思う。
実際的に、このような無意味と思われるコミュニケーションは仕事を円滑に進めるための手段なのだ。
僕は『何のために働いているのか』とよく考える。
深掘りしていくと『何のために生きているのか』に行き着く。
その『何』は、もともと決まっているわけでは無くて、自分で設定する必要がある。
僕はまだ、ゴールを設定できていない。
本当はもっと早く設定すべきだったのだ。
────すみません。一ヶ月お休みを頂きたいのですが
とある日の夕方に切り出した。
確か僕の持っている仕事が一通り片付いた頃だったと思う。
今まで、こんな一般的に非常識と思われる決断をしたことが無かった。
我慢してきたのだ。でも、もうこれからは我慢しない。
我慢することが人生では無いんじゃないかと思う。
それだけは正しいのでは無いか、と。
だから決断できた。
何もかもから開放されて、ゆっくり考えてみたい、と。
僕の、自分自身の生き方を。
読んでくれた人にも考えて欲しい。
自分自信の生き方を。
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