なぜ、わたしたちは愛さなければならないのか、っていう話です。
なぜ、わたしたちは愛さなければならないのか、っていう質問を受けたことがあって。。。
まあ、匿名で受けたんだけど。。。
対面でこういうことってあんまり話題にしづらいよね。。。
で、考えてみた。なんで、わたしたちは愛さなければならないのか、ってことを。。。
自分はクリスチャンのなので、すぐ神経反射的に聖書から答えを言ってしまいそうになる。。。
たとえばこういう証拠聖句を指し示して、さ。。。
今日の聖書の言葉。
だけどねー。。。
「ほら、ここに書いてあるから、だから、愛し合わなきゃいけないんだ」って言ってもね。。。
自分の場合、聖書は「神」のコトバだという前提に立って考えているから、聖書に書いてある、って言えば、もうそれだけで100パーセント納得しちゃうんだけど。。。
いや、100パーセントってことはないか。。。72パーセントぐらいかな、正直なところ。。。
でも、聖書はフツーの本だ、源氏物語と一緒だ、しょせんフィクションでしょ、って思っているひとには、「セイショガー」「カミガー」って言っても、なんにも説得力はないよね。。。
どうしたもんだろうね。。。
なので、自分なりにこういうふうに考えてみた。。。
人類のながいながいあゆみの黎明期において、たぶん、2種類のコミュニティーがあったんじゃないか、って想定してみる。
ひとつは、愛し合って生きるコミュニティー。
もうひとつは、憎み合って生きるコミュニティー。
で、前者は互いに助け合い、励まし合い、欠け目を補い合って生きようとした。なので、生き延びることができた。
しかし、後者は互いにいがみあい、憎み合い、つぶしあったので、早晩全滅して誰も生き残ることができなかった。
いまをいきる「われわれ」は、前者のコミュニティーの子孫たちなんだ。それが、アダムの子たち。
アダムの子たちは、深く考えた。オレたちが生き残れたのって「愛」のおかげじゃね? って。。。
そこで、アダムの子たちは、自分のあとに続く子孫たちがさらに繁栄できるように、先祖伝来の生き残りの秘訣である「愛」についてストーリーをまとめ、本にすることにした。
そうしてできた本が聖書で、聖書のクライマックスは、なんとその「愛」が生きた人間のかたちをとって地球上に降り立った。それがイエスで、イエスは全人類の生き残りのために身代わりとなって十字架にかかった。
そうすることで、愛とは何かを目に見えるかたちで見せてくれた。
それだけじゃない。イエスは三日目に死者のなかから復活して、「愛」は永遠に不滅であることを身をもって示したんだ。
アダムの子たちは、このストーリーを自分のストーリーにすることによって、この先、二千年、三千年、四千年、五千年、一万年と生き残り続けて行くに違いない。
なぜなら、イエスが示してくれたから。「愛」は永遠に不滅なわけだからね。
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