パンにもいろいろあるけれど。。。
「イエスさま、どうやって祈ったらいいんですか?」という弟子たちの求めに答え、イエスが教えてくれた、主の祈り。福音書に収められている *¹。
そのなかに、きょうの食物をあたえてください、という言葉があるんだ。
今日の聖書の言葉。
ここには、じつは、謎の言葉が使われている。
下記の太字の言葉「エピウーシオス」が、それ。下記では対格をとってエピウーシオンになっている。
τὸν ἄρτον ἡμῶν τὸν ἐπιούσιον δὸς ἡμῖν σήμερον
エピウーシオスは、聖書のこの箇所以外のどの文献にも使用例が見つからない、謎のギリシャ語なんだ。
エピウーシオスはアルトン(パン)にかかっているから、直訳すると、わたしたちに、きょう「エピウーシオスなパン」をください、という文になる。
エピウーシオスなパン?
どうも、エピ(~を超えた)+ ウーシア(本質)からなる造語なんじゃないか、と言われているんだけど、本質を超越した、って、どういう意味よ? ということで、どう訳したらいいのか、昔から議論されて来た。
そして、いまなお、これといった解決がない。聖書学者のなかには、訳すことを拒否するひともいるぐらい。
それじゃ、しょうがないので、各国語の聖書の多くは、エピウーシオスなパンを「日ごとのパン」と訳している。
でも、エピウーシオスなパンを訳せる可能性としては、次のようなものがあるんだ *²。
わたしたちに、きょうも「超自然的なパン」をください。
わたしたちに、きょうも「生きるのに必要なパン」をください。
わたしたちに、きょうも「新しい時代のパン」をください。
わたしたちに、きょうも「尽きることのないパン」をください。
わたしたちに、きょうも「永遠のパン」をください。
自分的には、上記の訳せる可能性のどれかひとつ、ではなくって、全部を込めた意味での「エピウーシオスなパン」をください! と思ってしまう。
神さま。きょうを生きるのに必要なパン、たべても、たべても、けっして尽きることのないパン、新しい時代を生きるためのパン、永遠のいのちをあたえるパン、超自然的なパンを、いつも、わたしに、ください!
じゃあ、そんなパンが、どこにあるのよ、ってことになるけど、イエス自身が、そのパンなんだと思う。イエスが、こう言ってるからだ。
なので、自分は、こう祈る。。。
いのちのパンであるイエスさまを
いつもわたしにください!
註)
*1. 主の祈り。カトリックと聖公会の共通訳では、こうなっている。
*2. ウィキペディア(英語版)「エピウーシオス」
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