個物だけに囲まれて生きている中から、どうして普遍が生まれたのか、っていう話です。
さまざまの、あらゆる、こまごまとした「個物」に囲まれて生きる今日であるわけだけど。。。
でも、その一方で「普遍」に対する無条件の信頼感みたいなのも持って生きているわけで。。。
半径5メートルしか通用しないモノより、世界の裏側でも通用するモノのほうが、断然すぐれているよね、そうだよね、異論は無いよね、と、もうほとんど反射的に思い込んでいる。。。特に根拠もないのに。。。
なぜなのだろう。。。よくわからない。。。
ここから先は想像なんだけれど。。。
人間を人間たらしめているのはコミュニケーション可能性なんじゃないかなあ、と思う。
人間を、いつだって夢中にさせるのは、コミュニケーションだよね。スマホ依存症とか、歩きスマホは、その線上の現象だと思う。
そもそも、コミュニケーションが成り立つには、相手と通じる回路の存在が必須であって。。。だって、回路が見つからなければ、コミュニケーションは不可能だもん。。。
じゃあ、回路は何かというと、それは、自分と相手との共通項なんじゃないかと思うんだ。
「ねえ、昨日のあのテレビ、見た?」
「あー、見た、見た。死ぬほど笑った!」
ということで、共通項が見つかり、コミュニケーション成立。
「ねえ、この YouTuber 知ってる?」
「うーん。知らない。。。てか、オレ、YouTube、ゼンゼン見ないひとなんだよね。スマン。。。」
となると、話はそこで終わって、コミュニケーション不成立。
たぶん、人類はコミュニケーションを広げて行くなかで、どんな相手にも回路を打通することが出来る最大最強の「共通項」を探す、という道のりを歩んで来たんじゃないのかなー、と想像する。。。
で、手っ取り早く万人に認識可能な共通項として、最初に到達したのが「太陽」なんじゃないのかなー、と思うんだ。
今日の聖書の言葉。
上記では、太陽が擬人化されている。花婿のように・勇士のように・喜び勇んで走る、って言うんだから、ポエムだよね。。。
自分、太陽をじーっと見つめても、花婿のようには、ちっとも見えないし、勇士のようにも、見えない。どういうこと?
これもまた、想像なんだけれど。。。
ムラみたいに小さなコミュニティーで生きているとき、そこでの最大イベントは? イチバン注目を浴びる人物は? ってなると、結婚式の花婿花嫁か、運動会の一等賞つまり勇士か、どちらかじゃないかと思う。
コミュニケーションの共通項の探り合いのなかで。。。
「太陽って、スゴイですよね」
「うん、うん、知ってる、スゴイ!」
「花婿って、スゴイですよね」
「うん、うん、ムライチバンの話題!」
「勇士って、スゴイですよね」
「うん、うん、思わずシビレちゃう!」
「太陽って、花婿みたいで、かつ、勇士みたいじゃないですか?」
「ほんと、それ。完全同意!」
っていう感じで、回路が確立されて行き、そういう作業の積み重ねの果てに「普遍」という概念。。。おおよそすべての人に、すべての場所で、すべての時にあてはまる概念。。。になって行ったんじゃないのかなあ、と思う。
その熱から隠れうるものはない
ところがねー。。。
共通項の探り合いのなかで、ある日、こういう会話がハプニング的に発生したんじゃないかと思うんだ。
「それ、すごい見事な土器ですね。ほれぼれします!」
「そうでしょ! うちのジイさんが作ったんです」
「ここのカーブのところ、まるで、太陽みたいですよね?」
「ほんとだー。太陽みたいだね」
「もしかしたら、ほんとの太陽も誰かが作ったのかもしれないですねー」
「だねー。ジイさんみたいなひとが、作ったんだろうか?」
。。。みたいな共通項から回路が打通して、やがて「太陽を作ったジイさんみたいなひと」をカミと呼ぶことにしよう、という約束事が決まった瞬間から、人類のコミュニケーションは加速度的にスピードアップして行ったんじゃないだろうか。
そして、ついに、人類の歴史は重大な分岐点を迎える。
そのカミが、ひとりの男に現れて、声をかけ、男はカミに応答したのだ。
男の名はアブラハム。ここから、アブラハムが出会ったカミが「神」だ、というストーリーが、人類のなかに広がり始めて行く *。
自分はクリスチャンなので、アブラハムの子孫であるイエス・キリストを通じて、自分自身をそのストーリー。。。アブラハムが出会った「神」のストーリー。。。のなかに組み入れて生きている **。
なので、自分にとって「神」が共通項・回路として機能している。
「昨日どうだった?」
「よかったですよー。感謝です!」
「主に感謝、ですねー」
「ほんと、感謝ですー。ハレルヤー!」
。。。みたいなコミュニケーションが、だれとでも成立してしまう。
その相手が 4,000年前のアブラハムであっても
2,000年前のペトロとパウロであっても
1,000年前のアベラールとベルナルドゥスであっても
そして、これから 4,000年後の花婿花嫁・勇士であっても
あー・うん、で、通じてしまえるに違いないんだ。
註)
* Cf. 創世記 12:1-4
** Cf. マタイ 1:1
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