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山は移り、丘は揺れ。。。

心から信頼していたものが、簡単に崩れてゆく、という経験。人生で、そうめったにあることではないけれど、あるときには、あるよね。

自分の父は無神論者だった。で、パルタイすなわち前衛党のシンパ(党員ではないけれど応援している人)だった。なので、自分はオカルト少年だったにもかかわらず、父のすすめで、そっち系の夏期講習会に参加したことがあるんだ。

夏期講習会では、大学生のお兄さん、お姉さんといっしょに、怪獣映画をめぐるディスカッションがあって、生意気にも自分は「ゴジラやガメラというのは、既存の体制を全部破壊してしまう存在を象徴していると思います」と意見を述べていたっけ。。。ヤバイやつじゃん(笑)

その後、大学生のお兄さん、お姉さんたちによる、なーんとなくオルグっぽい家庭訪問を受けたけど、無神論の世界観に確信を持ってしまう前に、イエス・キリストを救い主と信じて、クリスチャンになった。

夏が来ると思い出すなあ。。。夏期講習会。。。

だから、1989年にベルリンの壁が崩壊し、1991年にソビエト共産党が解体されたとき、クリスチャンながらも、感慨深かった。。。感慨深かった、というか、無神論に命をかけて生きていた、たくさんの人たちのメンタルが心配になった。。。その中には、とうぜん、父も含まれていたわけで。。。

太平洋戦争中は軍国少年だった父は、15歳の夏に玉音放送を聞いた。命をかけて信じていた体制が、音をたてて崩れるのを体験したんだ。だから、その反動で、父が無神論者になってしまった気持ちは、よくわかる。でも、せつないなあ、と思うのは、前衛党の解体という二度目の崩壊を、父が60歳のクリスマスに経験しなければならなかったことだ。

今日の聖書の言葉。

山が移り、丘が揺らぐこともあろう。 しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと あなたを憐れむ主は言われる。
イザヤ書 54:10 新共同訳

山が移り、丘が揺らぐ。。。ほんとうに、そういうことが、あるんだよね。絶対盤石と思っていた体制が、崩れてしまうような出来事が。

それはべつに、無神論者だけに起きることでは、ない。クリスチャンにだって、起きることだ。キリスト教を国教とする「栄光の千年王国」であるはずのローマ帝国が、滅亡した日のことを思う。。。皇帝コンスタンティヌスの寄進に由来するローマ教皇領が、イタリア王国によって消滅させられ、教皇が小さなバチカンの囚人と化した日のことを思う。。。それをリアルタイムに目の前で見させられた人の気持ちは、想像を超えているよ。

いま、ゴジラでもガメラでもない、コロナという怪獣が、目に見えない光線を吐きまくって、それこそほんとうに、世界の既存の体制を、ぜーんぶ破壊しかねない感じ。。。山が移り、丘が揺らぐ。。。世界の人たちが、かたずをのんで、次の展開がどうなるのか、見守っている。

自分はクリスチャンなので、こういうときこそ、目に見えないウイルスではなく、「わたしの慈しみはあなたから移らず わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはない」と告げる、目に見えない神の愛に、心を向けたいと思う。

コロナ禍中にあって、新約聖書のコリント人への第二の手紙 第5章から、自分は特に大きな励ましを受けている。それは、次のような言葉なんだ。

たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。
コリント人への手紙二 5:1 新改訳2017

そして、次の言葉だ。これを読むと、ほんと、涙が出る。イエス様、ありがとう。。。

神は、罪を知らない方(イエス・キリスト)を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。
コリント人への手紙二 5:21 新改訳2017


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