クリスマスだからってことで新約聖書を読み始めて、系図でめんくらって断念した。なに、この系図? っていう話です。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、ひとくくりに「アブラハムの宗教」と言われることがある。
アブラハムは、クリスチャンである自分からすると、祝福の源、信仰の父、っていう扱いだ。
祝福の源って、どういう意味かと言うと。。。
「神」はアブラハムを通じて全人類が祝福にあずかるよう設定した、ってことなんだよね。
なんや、そんなの知らんがな、って向きがほとんどだとは思うけど。。。
まあ、神が「神」として決めたことだから、そういうことです、としか言いようがないよね。。。
で、その設定資料として書かれたのが旧約聖書の創世記だ。そのなかに、どのようにアブラハムが祝福の源になったかが書かれている。
じゃあ、どうやって祝福の源になったか、って言うと、それは「見ないで信じる信仰」によって、なったんだ。。。
今日の聖書の言葉。
見ないで信じる信仰。。。ちょー難易度高そう。。。
具体的にアブラハムは、どう見ないで信じたか、って言うと。。。
アブラハムには長いあいだ後継ぎが生まれなくて、あきらめていた。
でも、そのタイミングで、なんと男の子が生まれた。その名はイサク。日本語にすると笑太郎みたいなネーミング。
そりゃ、笑みがこぼれるよね。念願かなって子どもを得たわけだから。
ところが、その子に関して「神」は矛盾するコトバをつきつけてきた。
ひとつは、その子の子孫は、宇宙の星の数より多くなり、地を受け継ぐことになる、という祝福のコトバ。
もうひとつは、モリヤの山頂で、その子を燔祭(焼き尽くすいけにえ)としてささげよ、という命令のコトバ。
これ、普通に考えたら、神は気が狂ったんじゃ? って思う案件だよね。絶対に矛盾してるもん。
その子を殺したら、どうやって、その子孫が宇宙の星の数より多くなれるのよ? ってことだから。
アブラハムは死ぬほど悩んだと思う。
そして、悩んで、悩んで、信仰によって到達した結論は、これだった。
この子は死んで、よみがえって、そこから
宇宙の星の数より多い子孫が生まれる
神は「神」だから、この子が死んでも、よみがえらせることができるはず。よみがえったこの子から、宇宙の星の数より多い子孫が生まれるに違いないはず、って。。。
すごい結論だよね。
もう、神が頭がオカシイばかりか、アブラハムも頭がオカシイよ、って思ってしまうんだけれど。。。
そこのくだりを、新約聖書は、こう解説している。
つまり。。。
アブラハムが「見ないで信じたこと」は、なんだったか、って言うと、燔祭としてささげられたイサクがよみがえる、ってことだったんだよね。
ところが、実際には、イサクは死ぬことはなかった。
モリヤの山頂でアブラハムがわが子に手をくだす直前、「神」はそれをストップさせたからなんだ。
殺しちゃだめだ、わかった、おまえが信じていることは、よくわかったから、って *。
いや、いや、いや、ストップするつもりなら、最初からそんなことやらせないでよ、って、言いたくなってしまうけれど。。。
このエピソードは、ユダヤ教とイスラム教も共有している。アブラハム、なんて従順なひとなんだ、すごいよね、っていう最高のレスペクトが払われている理由だ。
。。。なのだけれども、ただそれだけなら、物語として伏線を回収しきってないんじゃないのかなー、って思うんだよね。
どんな伏線が残っているか、って言うと、このライン。。。
この子は死んで、よみがえって、そこから
宇宙の星の数より多い子孫が生まれる
自分は、この伏線を回収するために新約聖書が書かれたんじゃないのかなー、って思っている。
新約聖書によれば。。。
神の独り子であるイエスは、モリヤの山頂、つまり、エルサレムで、全人類のための燔祭となって死んで、三日目によみがえった。
よみがえりのイエスによって、全人類はアブラハムを源とする祝福にあずかり、その数は宇宙の星より多くなる。
神は、わたしたちをキリストにおいて
天のあらゆる霊的な祝福で
満たしてくださいました **
クリスマスが近づくと、イエスに興味を抱いて、新約聖書を手に取ってみるひともいると思う。
でも、マタイによる福音書1章1節、アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリスト。。。っていうコトバで始まる長々とした系図にめんくらって、「だめだ、こりゃ」って投げ出しちゃうひとが多いんじゃないかなー。。。
しかしそれは、旧約聖書で未回収の伏線を新約聖書で回収するために必要な「つなぎ」として機能している系図なんだよね。
睡眠薬のように効果てきめんな系図を、眠らずに読み抜けて、新約聖書を読破できたら。。。
その新約聖書が言ってることを、ひとことに要約したら、こうなるんじゃないかと思う。
アブラハムが信じたように
見ないで信じる
アブラハムは、イサクのよみがえりを、見ないで信じたわけだけど。。。
その「見ないで信じる信仰」に倣って。。。
異邦人のわれわれは、イエスのよみがえりを、見ないで信じるんだ。
註)
* Cf. 創世記 22:12
** Cf. エフェソ 1:3
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