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プレゼントのソムリエもあてにならないので、じゃあ、どうやって最高のプレゼントをゲットしようか、っていう話です。

クリスマスまであと29日となった、きょう。。。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

そろそろ、クリスマスプレゼントを何にするか、本気で考えないといけない時期ではあるけれど。。。

でも、家人からは「いらないからね!」と言われている。

まあ、自分のプレゼントのチョイスが、いつも、いつも、イマイチだからだろうねー。。。

わかります。。。自分でも、そう思います。。。

今日の聖書の言葉。

良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。
ヤコブの手紙 1:17 新共同訳

プレゼントのソムリエがいて、今年のあなたはコレ! みたいにアドバイスしてくれたらいいのに。。。

。。。なんて思っていたら、ホントにそういうサイト、あるのね。。。

で、覗いてみたんだけど、リコメンドのテイストも価格帯も、あまりに自分が住んでる世界と違い過ぎて、まったく参考にならなかった。。。

セリアの半径500メートル以内でお願いします(笑)

じゃあ、自分は、どんなプレゼントをもらったら、嬉しく感じるんだろう。。。

もらっても困ってしまうもの、って、あるよね。。。

たとえば、自分は絶対禁酒主義者なので、赤玉でもボージョレヌーボーでもロマネコンティでも、もらったら困るしかない。

だって、飲めないんだもん!!!

あと、プレゼントはココロをあらわす、って言うけれど、それもね。。。思い詰めすぎると、かなーりコワいものがある。。。

ワタシノココロヲ、アナタニアゲマス、ウケトッテクダサイ。。。とか言って差し出されたら、ゾッとして逃げちゃう。。。重すぎるよ。。。

そういうことを考え始めると、ほんと、プレゼントって、難しいよなー、と思う。

だから、きっと「神」も、プレゼントをわたす方法に苦心したんだろうなー、って想像する。

神は神なので、いつも・つねに・たえず・最高のものを人間にあたえたい、って思っているハズ。。。

じゃあ、最高のものは何か、って言うと、究極に最高のものは、理論上「神」しかないわけだから。。。

そうすると、神は「神」をプレゼントとして人間にあたえる、っていう思考回路になってしまうことになる。

でも、どうやって、神は「神」を人間にあたえることができるんだろうか。。。

この難題をめぐって、思考のサーキットをグルグル回転して火花が散っているみたいなのが、旧約聖書じゃないか、と思う。

で、そこを突破したのが、新約聖書なんじゃないのかなー、と。。。

永遠・普遍・無限・絶対・遍在・全能・全知である「神」は、ユダヤのベツレヘムの馬小屋の飼い葉おけのワラの上に赤ん坊となって降り立ってくれた。それがイエスだ。

プレゼントの中身は「神」だけど、そのパッケージは、みすぼらしい。。。

だって、飼い葉おけ、だもん。。。

それはつまり、「神」が人間の生活のいちばん低い次元に降下してきて、神みずからを全部差し出している、ってことを意味しているんじゃないかと思う。

新約聖書も、こう言っているし。。。

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
フィリピの信徒への手紙 2:6-8 新共同訳

イエスにおいて差し出されている「神」は、そのパッケージのみすぼらしさゆえに、見過ごしにされてしまうことが多いんじゃないだろうか。

だけど、受け取って包みを開いたひとにとっては、ほんとのほんとに、最高のプレゼントになるんだよね。

その受け取った感覚は、「コレだ、コレだったんだ、コレが欲しかったんだ!」っていう感じだ。

で、そのプレゼントは、当然、セリアの半径500メートル以内に収まっているし、テイストも価格帯も、自分の人生の最低の時の気分に完全に合致している。

だって、飼い葉おけ、だからね。。。

良い贈り物、完全な賜物はみな
上から、光の源である御父から来るのです

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