体験学習
その立場になってみないと分からないよ。
と言うものの、何だかちょっと気になるので書いてみます。
まず、この言葉には2種類の捉え方ができる。
①利用者の立場になって、学ぶ ☞される立場を
②実際の仕事の基本を、学ぶ ☞する立場を
どちらでも共通するのは「主体を知る」こと。
「体験」させる意味と目的
「体験」といっても、本人の取り組む気持ちによって、その後の展開が変わってくる。
やる気があり、次に向かう気持ちがあると、教えている方も気持ちが良い。やる気がないと分かると、ただ、そこにいるだけで「何を体験させるのか」考えるだけで時間が過ぎてしまうこともある。
指導者としては、何か学んでもらうのならば、少しでも本人の今後の支援ややる気につながることを学んでもらいたいと思っている。ただ、本格的に学んでいないから、負担をかけるわけにはいかない。
そして「体験」となると、自分が実際に行なっていることだから「楽しい」「もっとやりたい」と思う。「体験」すること/させる中で「やってはいきたいけれど、どうすればいいか分からない」という不安を解消できる。
「体験」と「見学」
ちょっと気になる「見学」についても書いてみようと思います。読んで字のごとく「見て学ぶ」ことだけど、
「体験」
実際にやってみて、主体的に学ぶ。利用者を目の前にして、対人援助の初級とも言える。
「見学」
実際にはやることは少ないけれど、利用者と支援者の関係性や技術を客観的に学ぶ。利用者を含めた周りの状況を見て全体的にどのように動いているのか、を学ぶ。ただ、見ているだけというわけではない。
僕は、「見学」から「体験」にどのように本人の気持ちを持っていくのかが重要とも思っています。ただし、強引にではいけない。
「どうして体験(見学)をしたいのか」を最初に聞いておくことで、指導者の視点も変わってくる。
気になること
僕としては「どんな支援をしているのか見学をしたい」と『同僚から』言われたときには、ちょっと困惑してしまいます。
技術も知識もあるはずなのに、他人から学びたいとはどういうことなんだろうか。
もしかしたら「見学」ということで、本来の仕事から逃げているのかもしれないし、「仕事をしています」アピールをしているのかもしれない。
また、「体験」も「見学」も期間をしっかり決めて取り組まないと、指導者も、体験者も、利用者も疲れてしまう。そして、体験するうえでは「何でも体験してほしい」「何でも体験したい」というのはやめたほうが良い。「体験」をする内容によっては、「利用者の眼」「支援者の眼」もあることを忘れてはいけない。うまくできていること、そうでないことがあるとしても、「体験だから・・・」としてしまうと、本人は何も言えないかもしれない。
そもそも考えるのは「体験学習を受け入れてくれる」福祉事業所というと、元々「風通しの良い」事業所と、「風通しを良くしたい」事業所に分かれるような気がしています。ボランティアであったとしても、違う視点が入ることで、利用者への支援に活かせるかもしれない。ただ、逆に体験を受け入れることで、順調にできていたことができなくなって、手が止まってしまうこともある。
追伸 だいぶ悩みながら、書いてしまいました。とりとめのない文章ですみません。