「福祉は天職ですか?」と聞かれたら
いきなりこんな質問をしたら、どういう反応をするだろうか?
僕は、ちょっと考えてしまう。
自分のしていることを「天職」と呼んでいいのだろうか?
そんな中、Twitterでこんなことをつぶやきました。
人によっての天職の捉え方は色々だと思いますが、僕は、天職だと思います。利用者からの要望に、支援者として真摯に取り組んで、やりがいが得られる。そして、お互いに「ありがとう」が言えて、無理がないこと。
そうなっていけば、天職かな。すぐにはなれないね。
天職の条件
天職と感じることができるためには、何が必要だろうか。
天職にするのは、どうしたらいいのだろうか。
経験年数だろうか、役職だろうか、利用者からの感謝だろうか、
自分のしてきたことが認められた時だろうか、
「やってよかった」と思うだけなら、利用者の言われることをそのまま行えばいい。でも「天職」だと思っていても、自分のできる範囲だけを見ていると感じてしまうこともある。
この仕事に後悔はない、
ただ、それだけでは不十分な気がする。
自分の思いを超えるような出来事があって、「天職」と感じると思う。
「天職」のとまどい
時々考える。
この仕事が天職だと「思い込まされている」のではないか。
ここまで頑張ってきたから、否定してしまうと、自分を否定することになってしまうのではないか、という恐怖もある。
利用者に感謝されることはあるけれど、どこか自分では納得していないところもある。自己満足であることは分かっているけれど、
「もっとできたはずだ」
「相手はこの結果を望んでいないのではないだろうか」
と、思いつつも「辞めてやる!」と思ってしまう時もある。ただ、ほんの少し思い返してとどまっている。損得なしに、相手と向き合っていると、そんな思いはどこかに消えている。どうでもいいという感情ではなく、すっと消えている。
ここまで書いて、「天職」の意味を調べてみた。
1 天から授かった職業。また、その人の天性に最も合った職業。「医を―と心得て励む」
2 天子が国家を統治する職務。
3 遊女の等級の一。大夫の次の位。天神。
では、「天性」とは何か、というと
《古くは「てんぜい」とも》天から授けられた性質。また、生まれつきそのようであること。副詞的にも用いる。天資。天質。
「生まれつき」と書かれているから、ちょっと戸惑う。
生まれる前から授けられていたことなのか?
自分の環境や家族や仲間がちょっとでも違っていたら、違う道を歩んでいたかもしれない。また、違う道を歩こうとしていても、見えない力に引き寄せれているのか。
でも、同じような境遇の人が、同じような仕事をしているかと言われるとそうでもない気がする。
ちょっとしたきっかけで、この仕事と人に出会い、引き込まれている。そして「続けていこう」「頑張っていこう」と思えるような出来事はなんだろうか。
何か決め手があるはず。
「涙」という言葉が浮かんでくる。
自分が相手のことを思って、涙が出てくる。
相手が自分のことを思って、涙を流してくれる。
お互いに涙を見せていること。
涙には特別な意味があるし、特別な関係でないと恥ずかしいと思ってしまうのはないだろうか。涙を流しても、恥ずかしいと思うことのない関係性が天職に必要だと思う。
「涙の数だけ強くなれるよ」
そして、天職だからと満足してもいけない。自分が何でもできる、自信ばかりがある状態では天職と言えない気がする。
しっかりと見合うだけの自己研鑽をして、これからも成長していくことで天職であることに誇りが生まれてくのだと思います。
もし、天職が見つからないのならば、自分がこれまで心が動いたことや印象に残ったことからつながってみてもいいのかな。
でも、天職と思っていたことをやめることがあるとしたら、ものすごい覚悟がいるし、今を超えるためには相当の努力がいることは忘れてはいけない。