ファンタジックJK創作論
以前、大学で仏教思想を専攻していたことが原因で派遣会社に干された話を書いたが、
仕事を干されるまでいかずとも、珍しがられることが多い学科なのは間違いない。
そして、会社の面接で「その学びは何の役に立ちますか」と言われても説明がとても難しい。
「さまざまな国の歴史や文化、なりたちなどを勉強してきて、多様な価値観を客観的に理解しようと努める土台があります」
「仏教の哲学を勉強していました。それらの哲学はメンタルを保つのに役立ちます…。色即是空空即是色、捉えよう次第ではすべてはまやかしなので。どんなことがあっても平気です」
なんとなく微妙だ。
大学で学んだが、生活や仕事においてはなんの役にも立たない、笑ってしまうぐらい使えないものの調査とネタ探しで大いに効果を発揮した特技がある。
「あなたは何ができますか?」
「古文と漢文とサンスクリット語が読めます」
就職の面接の直接的アピールには、とても使えない。
なぜ私がそんなところに入ったかというとても個人的な話なのだが、
私がその学科を選んだ理由は
めちゃくちゃファンタジーが好きだったからだ。
私は子供の頃から本が好きだった。
特にファンタジーを好んで読んだ。
名作のファンタジー小説や、漫画やゲームがたくさん家にあって、それらを読んで、プレイしてファンタジー漬けで育った。
中学生くらいになって、自分で小説を書き始めた。
きっかけは、友人が好きだったキャラクターの二次創作を書いたこと。
友人が喜んでくれて、ネットで知り合ったネ友たちにも読んでもらって好評だったのが嬉しかった。
そしてまた二次創作の…今度は1万文字くらいの長いものを書いてpixvに投稿したらあっというまに100以上のいいねがついて、嬉しいコメントがたくさん来て、「文章を書くことを通してなら、私も何者かになれるかもしれない」と思った。
子供の頃から承認欲求の塊だったのである。
二次創作は楽しかったが、
今度はいちから作ってみたいと思って、
何を書きたいか考えて真っ先に思い浮かんだのはもちろん、ファンタジー。
自分の好きな要素やワクワクする要素を詰め込んだものが、文章を打ち込むたび形になっていくのは面白かった。
実際に書いてみると、1から物語を書くには、結構な知識や教養が必要なこともわかった。
ファンタジー小説の場合、異なる世界を舞台に物語を書くことになるので、世界観の作り込みが必須だ。
作りすぎてピンと張りすぎては必要以上に制約を増やしてしまい書きにくくて自分が苦しくなるし、説明が増えてしまって世界感説明ばかりの退屈で冗長な文になるし、説明を省けば今度は読者に世界観がわかりにくくなってしまうのである程度のゆとりが必要だが、その世界にはどんなこの世界にはないモノがあってどんな使われ方をしているか、どんな生き物がいるかには、常に根拠が必要だ。
根拠がないまま作られた世界感は、根を張ることができず浮草のように不安定で、読者に入り込みにくさを与える。
たとえばディズニー映画を例にとると、作中に登場する魔法の力には大抵由来がある。
特に最近の作品は説明がしっかりしていて、ラプンツェルしかり、エルサしかり、ミラベルしかり皆そうだ。魔法が存在する世界で街を取り巻く価値観や、登場人物に注がれる他の人々の視線はとてもはっきりしていて、魔法の力がそこに生きる人々にとってどんなものかを教えてくれる。(素人の持論です)
ファンタジー大好き人間が高じて自分でも物語を書くようになり、より説得力のある異世界を書くためにリサーチを重ね、その物語の世界に自生する植物の植生、動物の分布、描写される建物などにその地域の気候や地形などの「根拠」を求めた。
たとえば、家の色。
近年では塗料が発達しているから、家の色など住人の好みひとつかもしれないが、今のように塗料などが発達するより前ならば家の色一つとっても理由がある。
建築様式も同じだ。建築はその地域の気候や手に入りやすい素材に依存する。
現代なら悪路も進めるさまざまな交通手段があるからその限りではないかもしれないが、たとえば雨季には水位が上がる南国の街にヨーロッパのような木組みの家があったり、砂漠にログハウスがあるのはどこか変だ。
だから世界中の植物や生き物のことを調べたし、その地域の人々がどんな家、服で生活していて何を食べているかも調べた。
学校の図書館では十分に専門的な本が見つからなかったし、細かいことを調べようとすると近所の図書館でも足りなくなり、隣町のわざわざ大きい図書館に行って調べまくった。
なかでも、人間のコミュニティを描く時はそこに属する人々の価値観そのものが彼らが主人公と敵対するか友好的関係を築くかのキモとなると考えていた。
彼らが、主人公に向ける視線はどんなものか。彼らを主人公たちをどんなものと認識するか。
敵か?味方か?
もてなすべき隣人か?排除すべき余所者か?
自分なりに理由を考えたり、数多の小説や本を読んだりゲームをやって参考になりそうなエッセンスを探す中で、
「その地域の人々の世界観=歴史的背景・宗教思想や次第で、人間の価値観はだいたい決まってくる」という考えを持つようになり、
「実際はどうあれ、人々の持つ世界の認識…宗教観さえ固めれば魔法でも呪術でも架空の剣術の理論でも、それに沿っていけば割となんとかなるのではないか?」
という結論に至った。
小説を書くのが大好きだった私は、より説得力ある世界を描けるようになりたかった。
そのためには世界の歴史や宗教というものへの知識を深める必要があると考えて志望大学と学科を選び、最終的に仏教思想を含む東洋思想・哲学を専門とする学科に入った。
そう、私の大学はいささか偏り気味の知識欲から決まったのである。
宗教とは、視線であると思う。
たとえばキリスト教とイスラム教と仏教でも世界の捉え方や自己の認識がまったく異なる。
ギリシャ神話と北欧神話、南米神話など各地域の神話(=土着の信仰)を並べても同じことで、
他者から感じる視線、自分から見える世界の捉え方が、同じように太陽が登って落ちる世界の上に存在している人間なのに、全く異なるのだ。
私はそれをとても興味深いと思う。
この考え方は、役者をやるにあたっても少しは役に立っている。
キャラクターの性格・ものの捉え方…すなわち価値観、そこから起こる行動には必ず理由がある。それは過去の経験だったり、手に入れたいものに対する欲求だったり様々だ。
演技の世界ではよく「目的と障害」といったものが、キャラクターの行動を左右すると言われる。
欲求の度合い、衝動性もキャラクターの振る舞いに大きく関わる。
どんな幼少期だったか、友人関係はどうか?
つまりは周囲の環境がその人を作る。
長々と語ったが、私はこういう話が好きだ。
いつしか小説は描かなくなってしまったけど、こんな私は役者はきっと向いている…と信じて今日もお芝居をする。
お芝居もとても楽しくて大好きだ。
役者業しかり、モデル業しかり、きっとクリエイティブに何かを作り上げること全般が好きなのだ。
そんなわけだから、
2/7〜11の舞台も、みんなきてよね