時は流れて現在の私 17
熊本に来ました。小学校6年の3学期でした。すぐに卒業し、そしてすぐに1週間入院しました。扁桃腺肥大症で、扁桃腺を切除する手術でした。無事終わり、入院療養生活が始まりました。生まれて初めての入院。大きな病院の明るい部屋でした。4人部屋で、初日、隣の大学生と仲良くなりました。
初日は別に恐いことも痛いこともなく、初めての環境で楽しく平和に過ごせました。2日目手術。前回の記事のような大変なことになりました。手術後は、局部麻酔が徐々に覚めるにつれて、喉は痛くなってきました。そして、手術中の出血は、胃に落ちていましたが、手術室から病室に戻ると、
まず胃に落ちた血液を吐きました。その後は喉が痛いですから食べることもできず、ベッド上で悶々としていました。最初の食事がいつだったかは覚えていませんが、最初は液体だけでした。牛乳瓶のような容器の液体だけを、飲みました。中身はスープと、あとは覚えてないです。
次の日の食事は流動食。おかゆとあとは前日のスープみたいな感じの。その次の日に、流動食に近い柔らかい食べ物。その次の日くらいにようやく普通の食事が摂れるようになった気がします。食事が摂れないことより、喉が痛いことが辛かったです。ちなみにそのスープ、美味しかったです。
一週間後に退院し、更にその一週間後くらいに、抜糸と称してもう一度病院に行きました。縫った糸を抜くというので、かなりの恐怖に苛まれていましたが、実際に先生が行った作業は、喉を覗いて、なんかピンセットのような器具で、喉をツンツンとして、終わったような気がします。
糸といっても、肉に吸収されるタイプの糸だったようです。これで私は、とうとう自分の扁桃腺と完全にバイバイしたのでした。こうして私の初めての入院生活が終わり、小学校と中学校の間の春休みは、何もできずに終わってしまったのでした。
そして中学校に入学しました。熊本市立東野(ひがしの)中学校。外観上の特徴は、実はよく覚えていません。特に校舎の中は、それまでの学校はよく覚えていますし、東京に戻って転入した茗台(めいだい)中学校の事はよく覚えているのですが、この東野中のことだけは、殆ど覚えていないんです。
ごく断片的な映像は浮かんできます。音楽室の様子とか、吹奏楽部の練習場(それがどの教室だったかはおぼえていません)とか、理科の準備室の棚の上に、理科の先生が広口瓶で濃い塩水を保管し、塩の結晶を作っているところとか、は、映像として覚えています。
あと、校庭と朝礼台の風景は覚えています。私はこの学校では度々表彰されて、朝礼台の校長先生の前に引き出されていたんです。一度の朝礼で、2度引き出されたこともあります。嬉しかったので、その光景は覚えています。表彰の理由は、全て美術作品が何かに入賞したというものでした。
きっと美術の先生が、生徒の作品をそういったコンテストの類に、こまめに出品してくれていたんだと思います。その頃の私は美術の授業で絵とか,デザイン画とか焼き物とか、描いたり作ったりすることが好きでした。音楽で表彰されたことは一度もありません(笑)。
しかし自分の教室の様子とか、学校内の校舎の配置とか、そういう映像が、頭の中に出てこないんです。きっと、よくも悪くも、印象の薄い学校だったということだと思います。東野中学校では確か給食がなかったと思います。生徒の昼食は、家から持ってきたお弁当を、教室で食べていた気がします。
学校ってところに入学してから、初めてのお弁当生活でした。この学校に、2年の夏休みの途中までいて、その後、東京文京区の茗台中学校に転校することになります。中学校ですから、部活ってのが始まりました。小学校でも課外活動はあったのですが、あまり本格的ではありませんでした。
では中学校では本格的になったかというと、全然そんなことはありませんでした。吹奏楽部に入部してチューバを担当しました。弱小の、対外活動など何もないく、夏休み、部員の友達と夏のコンクールの地区予選に行き、他校の演奏の素晴らしさに、絶大な劣等感を抱えて帰ってきた覚えがあります。
でもここで、いろんな楽器に触れて遊んで、様々な管楽器の事を知らず知らずに身に着けることができたことは幸運でした。この吹奏楽部でのことは、「私が音楽する理由」の記事シリーズに書いた通りです。何が一番役に立っているかというと、金管楽器のマウスピースの感じです。
自分の唇の振動、というか、息の動きとマウスピースのマッチングというか、人間の肉体と楽器本体を繋ぐマウスピースの関係です。これは、体験して実際に音を出してみないと、なかなか説明できない部分で、各金管楽器のそれを体感できたことが、何よりの財産です。
そして吹奏楽部では、1年の2学期に、チューバからテナーサックスにスイッチしました。この経験によって、木管楽器のマウスピースも体験できました。木管の場合は、マウスピース本体より、リードの振動の具合いを、自分の唇というか肉体で、どうするとどんな音が出るのか、体験できました。
あ、もう一つ、面白い体験をしました。1年の夏休み、自衛隊の音楽隊の方に、チューバの奏法を習ったんです。何故こんなことになったかというと、私の住んでいた「健軍(けんぐん)」という町は、陸上自衛隊西部方面総監部の近くでした。
吹奏楽部顧問の先生が、夏休み、この総監部に部員たちを連れていき、楽器ごとに自衛隊音楽隊の方々に指導を受けられるようにしてくれたんです。私を指導してくれた自衛隊の方は、お名前は忘れましたが、ひときわ体の大きい、そして今風に言えばイケメンのお兄さんでした。カッコよかったです。
指導が厳しかったか優しかったかは覚えていません(笑)。でも、指導の最後らへんに「この4月に始めたばかりです」と言うと「抜群」という言葉を言って褒めてくれたのが嬉しくて、覚えています。何が抜群と言われたのかは、覚えていません(笑)。
学校の先生に殆ど褒められたことのない私ですので、少しでもこうやって褒められると、嬉しくて覚えているんです。学校の先生、本当に私を褒めてくれませんでしたね。16年間の学生生活の中で、たった2回ですよ2回! 誰だって褒められた回数、少なくても20回や30回はあると思いますが。
2回しか褒められない生徒って、探してもなかなか見つからないと思います(笑)。いやまあ、笑い事じゃないんですけどね。私、人に褒めてもらえないことで、ぐれちゃったのかもしれません。だからかな。最近というか、ここ10年くらい世間で「褒めて伸ばす」って言葉、よく聞くじゃないですか。
あれ、教育の方法としては、少なくとも私は賛成しませんね。あ、次の記事、番外編としてこのことのお話をしてもいいでしょうか? したいです。いつか言いたいと思っていたんですよ、マジで。今日はここまでにします。読んでくださった方、本当にありがとうございました。