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幼少期


定かではないが、3歳まで呉に居て、4歳から6歳は岡山県美作町に住んでいた。父の転勤で美作に引っ越してきたのだ。

父は警察官、母は看護師であった。

美作町では、派出所に住んでいた。父は警察官なので、いつも警察の帽子と警棒、そして拳銃を持っていた。拳銃は固い革のソケットに鉄のボタンが付いており、子供の私には開けることが出来なかった。確か三年生くらいのとき、初めて開けさせてもらって中身の黒い銃を見た記憶がある。

さてある日、石投げをして遊んでいた。よく飛ぶ日で、何度もやっていたのだが、やってしまった。走っているクルマに当ててしまったのだ。さすがに父に怒られた。でもその話を津山でしたときに、おばあちゃんにまこは野球やったらいいのにって言われたのを記憶している。

そのあと、美作町では、警察官舎にも住んでいた。そこからバスだったか、幼稚園に通っていた。幼稚園はあまり良い思い出がない。給食の牛乳が飲めない、パンも嫌い、肉が嫌い、野菜も嫌いだから、いつも机を後ろに引っ張られて、泣きながら食べていた。たぶんほとんど食べていなかったが。

いつかそんな日が嫌になって、幼稚園からひとりで逃げ出したのを覚えている。国道にはたくさんクルマが走っていたが、脇道を通って家に帰ろうとしたのだ。しばらくホコリの中を歩いていると先生に捕まり、家に帰るん?と聞かれて、うん、後ろの補助席に座らされ、颯爽と自転車は走った。なんか色々聞かれた気がするが、後ろから流れていく景色をなにやら誇らしげに眺めていた。嫌な給食から逃れて家に帰れる。

家に着いたら、母と先生が色々話をしていたと思うが、私は母の作った卵かけご飯とお味噌汁を食べて、本当に幸せであった。




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