権力者たちのたそがれ①ー森舌禍事件の背景にあるもの

はじめに

森喜朗氏の舌禍事件が世の中を揺るがしている。

僭越ながら、筆者がみるところ、ことの本質は偉い人特有の独善性にある。

「わきまえる」云々の発言はその表れだろう。

背中の真ん中にこびりついた垢のような、どうしようもない癖が、首相経験者の晩節を汚す結果を招いてしまった。

本欄では森氏のことを論じたいわけではない。

先ほど述べた、偉い人特有の独善性について考えてみたいのだ。

偉い人とは

人間は社会をつくってきた。

道を、あるいはピラミッドをつくるにしろ、はたまた戦争をしかけるにしろ、必ずそこにはリーダーがいた。誰かが人びとを率いてことをなすのである。どんな小さな組織にも必ず指揮命令系統がある。誰かが誰かに指示を出し、組織は動く。点だった組織が面的な広がりをもつと、やがて社会となる。

企業だって、市町村だって、あるいは自治会だって、1つの社会だ。

社会の頂点に君臨するリーダーが持つ力のことを権力という。

この権力というのはなんと人を狂わすものなのか。

赤じゅうたん

最近、あるメディアのウェブサイトにこんなエピソードが紹介されていた。

筆者はスポーツ界で名の知れた人物である。プロバスケットボールの開幕戦のワンシーンを描写している。

「会場の客席の特等席には赤じゅうたんが敷かれていて、その上には豪華な椅子が並べられていました。ここからは想像の通りですが、この赤じゅうたんに座っていたのは、それこそ年配の男性ばかり、政治家がほとんどでした。そして、その一番格式の高そうなシートに向かって、森喜朗氏が例のごとく登場して、今度は周囲を囲んでいた赤じゅうたんの人々が一斉に立ち上がって、ひとつの方角に向けて深々とおじきをしてお出迎えをしていました。なにか悪いコメディーを見ているような気分にすら思いました」

黄昏

権力者たちのたそがれーー。森氏の一件を眺めていると、そんな言葉が浮かんできた。べつに、森氏だけの問題ではない。年齢を重ねる権力者に共通するテーマといえる。追従と世辞に囲まれる。異論が耳に入らなくなる。他人の声が遠くなる。年を重ね、世事からいよいよ疎くなる。一個の、化石のような権力者像が完成する。

連載

戦国時代の大名、昭和を生き抜いた大経営者、旧態依然のメディア王、小説家の主人公らを引き合いに出すことで、権力者たちの晩年の心象風景を描きたいーー。それがこの連載を思い立った動機だ。いろんなタイプの権力者の最晩年期にスポットをあて、滑り落ちていく過程をみていく。

いま、頭のなかにあるのは、以下のテーマだ。

・中内功ーー砂上の経営が崩れた世紀末

・渡辺恒雄ーージャーナリスト イズ 経営者!?

・長曾我部元親・三好長慶ーー血を分ける罪

・私の履歴書経営者のため息ーーかくしてサラリーマン経営者は去った

・松本清張のとある小説ーー男の嫉妬

今後

すぐ書けないかもしれない。順番が変わるかもしれない。それでも少しずつ、権力者たちのたそがれに迫ってみたいと思う。

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