4月・5月 後輩からの一冊、川上弘美『おめでとう』
レターパックに獅子文六『七時間半』をつめて後輩に送った日、後輩から本が届いた。
届いた一冊は、川上弘美の短編集『おめでとう』だった。手紙には、「情勢とか自分を取り巻く環境で、こうも受ける印象が変わるのかと驚きます」と書いてある。
恥ずかしながら、川上弘美デビューである。誰かの何かで川上氏による解説は読んだことあるが、著作は初めて。
さて、前回書いた通り、往復書籍を行うにあたっていくつかのルールを決めたが、私はさっそく破ってしまう。
古いレターパックを使ってしまったため、料金不足だったのだ。ポストに投函した直後に疑念が湧き、帰って後輩から届いたレターパックを見て、料金不足を確信した。
「10円足りてない!」
慌てたけど、もう遅い。
LINEで後輩に料金不足で送ってしまったこと、今日本が届いたこと、そして『おめでとう』は、読んだことがないと報告した。
後日、後輩から連絡通り料金不足だった報告と、獅子文六の本は読んだことがないと返信があった。
ルールを破った本人が言うのもなんだが、本を送ってから一か月もの間、届いたか否か、すでに読んだ本か否か…悶々と考えるくらいなら、荷物が届いた時くらい連絡とりあってもいいじゃないか! このルールは緩和しようと、先輩特権で勝手に決めた。
さて、『おめでとう』の話。本の紹介を載せておこう。
小田原の小さな飲み屋で、あいしてる、と言うあたしを尻目に生蛸をむつむつと噛むタマヨさん。「このたびは、あんまり愛してて、困っちゃったわよ」とこちらが困るような率直さで言うショウコさん。百五十年生きることにした、そのくらい生きてればさ、あなたといつも一緒にいられる機会もくるだろうし、と突然言うトキタさん……ぽっかり明るく深々しみる、よるべない恋の十二景。
川上弘美 『おめでとう』 | 新潮社 より
本を受け取った4月下旬から5月中旬にかけて…いろいろあった。
静岡県東部のテイクアウト情報をまとめた「富士山麓テイクアウト飯」の起ち上げから運営で、昼夜問わず忙しく動き回り、
そんな中、初めての保育園で家族みんながあたふたし、バタバタとみんな体調不良で寝込む。
ダメ押しは、呪いの言葉で鬱病時代のフラッシュバックを起こしてしまったこと。
すとんと、脳みそと体がフリーズしてしまったのだ。パソコンも開けない。
連休後半からしばらく、体調を崩した息子としんどい私、一日の大半を二人で過ごした。
一週間以上、高熱と微熱を行ったり来たりする息子。ぐずる息子を抱えて何度も病院へ通い、元気な昼間は全力で遊び相手になり、発熱する夜は眠れない息子に寄り添い、異変があれば飛び起きる。
幸いにも、コロナウィルスではなくマイコプラズマ肺炎だったらしく、少しずつ体調は戻った。
そんな中で、時間を見つけては『おめでとう』の一、ニ遍を読むことが、日々の楽しみになっていた。さらりと読める短編集だったことが何よりありがたかった。
私がたどり着いた1歳半の子どもと上手に過ごす方法は、自分の欲を消すこと。じっと息子を見つめて、彼の要望に合わせて対処する。
「これが終わったら次はこれがしたい」
「息子が寝たらあれしたい」
そういう欲求を捨て去ることだった。自分に期待しない、息子が安全に健康に1日を終えることだけを目標にする。
そうすると、世の中はストンと色あせていき、音さえも遠く離れていくようだった。息子と私、二人だけの世界なのかというくらい静かで穏やかな時間になったのだ。
この時期は、友達からの連絡もない、テレビも怖いから見ない、外にもなるべく出ないという生活だったから、なおさら静かだった。
その小さくて静かな空間というのが、不思議と心地よく、涙が出るほど不安定だった。
『おめでとう』の12篇はどれも主人公と誰かによる二人だけの物語だった。不倫関係だったり、微妙な間柄だったりするのに、どれも穏やかに日常として物語が進行していく。普通に考えたら、第三者が突撃していったり、事件や転機だってあるはずなのに、不安定ながらも成立している。これからも変わらず継続していくような雰囲気すらある。
物語の温度が、当時の私の日常と同じくらいで、なんだか私と息子の生活が13篇目だったのではないかと錯覚してしまうのだった。
そして、危うい均衡の中で、登場人物たちは変わっていくのか、変わらない日常をいくのか。
今の状態のままでは良くないと気づき、変わってほしいような、変わらずそのままの日常をすごしてほしいような…。
それは今の私達の生活ともつながっているのでは? と、後輩の思いとは関係なく、勝手にそんな解釈をしたのだった。