『教会史』第1巻 第1章 著作の目的について(エウセビオス)

http://www.newadvent.org/fathers/250101.htm

より。英訳からの重訳。

http://remacle.org/bloodwolf/historiens/eusebe/index.htm#HIS


カイサリア主教エウセビオスは、パレスチナのカイサリアに図書館を築いたパンフィロスの弟子であり、カイサリア図書館に収蔵された膨大な文献に基づいた著述活動を行なった。この地域の学術的基盤は晩年をそこで過ごしたアレクサンドリアのオリゲネス(c. AD 230)に多くを負っており、パンフィロスやエウセビオスも彼を高く評価している。

『教会史』は残存するエウセビオスの著作のうちの代表作で、紀元300年頃に初版が完成したとされ、初期キリスト教史を知る上で最重要な文献の一つとなっている。


:::::以下訳文:::::


第1章 著作の目的について


1節
以下が私の目的とすることである。聖なる使徒たちの諸々の継承について、また同様に我らの救助者の時代から我ら自身の[時代]までに経過した諸々の時代について、諸々の報告を書くため。教会の歴史において起こったと言われている多くの重要な出来事を物語るため。最も重要な諸教区において教会を治め、指揮した者たちと、それぞれの世代において、口述あるいは著述において神の言葉を宣言した者たちに言及するため、である。

2節
以下もまた私の目的とすることである。つまり、新しい発明を愛するゆえに極めて重大な諸々の誤謬へと突入し、自分たちを不当にも知識[グノーシス]と呼ばれるものの発見者たちであると宣言して[1テモテ 6:20]獰猛な狼のようにキリスト[者]の群れを残酷に荒らす者たちについて、その諸々の名前と、数と、時代を伝えるためである。

3節
さらに私の意図することは以下である。我らの主に対する彼らの企みの結果として直ちにユダヤ人の国全体に臨んだ諸々の災難について詳述すること。そして異邦人たちによって神の言葉が攻撃されてきた、その諸々のやり方と諸々の時代について記録すること。そしてそのために、様々な時期にあって血と諸々の拷問に直面するなかで奮闘した者たちの人物像と、また同様に我々自身の日々において成された諸々の告白と、そして彼ら全てに我らの救い主が提供した憐れみ深く親切な救助を、描き出すこと、である。これら全ての諸事物について書くことを申し出たのだから、私は私の仕事を我らの救助者で主であるイエスス・クリストゥス[イエス・キリスト]の経綸の始めを以って開始することになる。

4節
しかしこの冒頭において私は私の著作について賢い者たちの寛大さを懇願しなくてはならない。私は、完璧で完全な歴史[書]を産み出すことは私の力を越えていると告白する。この主題に入るのは私が最初であるので、私はあたかも荒涼とした未踏の道を渡ろうとしているのである。私は私が神を導き手として、また主の力を助け手として持つことができるよう祈る。私は、あるものは一つの方法で、他のものはまた別の方法で[書かれた]短い諸断片において、彼らの生きた諸時代の特定の報告が我々に伝えられている他には、私の前に道を旅した者たちの裸足の足跡すら見つけられないからである。彼らは彼方から彼らの声を松明のようにあげ、高く顕著な物見櫓からのごとく叫んで、我らにどこを歩くべきか、またどのように我々の著作を着実に安全に進めるべきかを忠告している。

5節
それゆえ、ここそこで言及された諸資料から、本著作に我々が必要と思うものは何であれ集め、そして草地からの諸々の花のように適切な諸文章を古代の著作家から摘み取り、全体を歴史的叙述のうちに体系化することに挑戦する。我々が、我らの救助者の使徒たちの諸継承の記録を保全するのが喜ばしい。たしかに全てでなくとも、それらのうち、最も著名な諸教会において名高いものの大半を[保全したい]。それらは現代に至るまでも名誉をもって保持されているのである。

6節
この著作は私にとって特別に重要と思われる。なぜなら私はこの主題に身を捧げた教会著作家を誰も知らないからである。そしてこれが歴史研究に親しみのある者たちにとって極めて有用と見えるものになるよう望んでいる。

7節
私は既にこれらの事物の概要を私が編集した年代記の諸基準[the Chronological Canons、『年代記』第二部のこと]において伝えている。しかしそうではあるものの、本著作を、可能な限りそれらの完全版を書くべく取り組んだ。

8節
私の著作は、上述のごとく、救助者キリストの経綸、すなわち人間の概念より高度で偉大なものと、彼の神性についての議論を以って始めよう。

9節
というのも、教会の歴史を著そうと申し出る者にとっては、我々の名はキリストに由来するのだから、キリストの経綸のまさに起源から始めることは必要なことである。そしてその経綸は多くの者たちが考えるよりもっと神的なものなのである。

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