『教会史』第2巻 第22章 パウロがユダヤからローマへ縛り送られ、その弁明を為し、あらゆる告発について無罪宣告されたことについて(エウセビオス)
http://www.newadvent.org/fathers/250102.htm
第22章 パウロがユダヤからローマへ縛り送られ、その弁明を為し、あらゆる告発について無罪宣告されたことについて
1節
フェストゥスがネロによってフェリクスの後継者となるべく遣わされた。彼の下でパウロはその弁明を為し、ローマへ縛り送られた。アリスタルコスが彼と共にあり、[パウロ]の書簡のある場所でも非常に自然にも[アリスタルコス]を囚人仲間と呼んでいる[コロサイ 4:10]。そしてルカ、すなわち使徒行伝を書いた者は、パウロが丸二年間ローマで一般的な囚人として過ごし、制限なく神の言葉を宣べ伝えたことを述べた後で、その歴史[書]をこの時点で閉じている。
2節
それで彼がその弁明を為した後で、この使徒はまた宣教の奉仕に遣わされたと言われている。そして同じ都市に二度目に来た際に、彼は殉教を受けた。この投獄において彼はその第二のテモテへの書簡を書き、そこで最初の弁明とその差し迫った死に言及している。
3節
さてこれらの話題についての彼の証言を聞こう。「私の第一の答弁にあって、」彼は言う。「誰も私と共に立たなかった[味方しなかった]。むしろ全ての人が私を見捨てた。私はそれが彼らの責任へと負わされないように神に祈った。それでも、主が私と共に立ち、私を力付けた。それで私によってその宣教が十全に知られ、全ての異邦人たちが聞くようになるためである。そして私は獅子の口から救助された。」[2テモテ 4:16-17]
4節
彼はこれらの言葉で明白に以下を示唆している。すなわち前回の機会では、自分によって宣教が満たされるために彼は獅子の口から助け出されたということである。[獅子の口]は、この表現で、その残忍さのゆえに、おそらくネロに言及しているしている。それゆえ彼はその後で似たような、彼は獅子の口から私を助け出すだろう、という言明を加えなかった。というのも彼は霊において、自分の終わりが長く延ばされるないことを分かっていたのである。
5節
そこで彼はこの「そして彼は私を獅子の口から救助した」という諸々の言葉にこの文を加えている。「主は私をあらゆる悪しき業から救助することになる。そして私をその天的王国にまで保存するだろう。」[2テモテ 4:18]これは直ぐに来る彼の殉教を示唆しており、それをまた彼は同じ書簡においてより明確に予告している。「というのも私は今や捧げられる準備がなされており、私の旅立ちの時が迫っている。」[2テモテ 4:6]
6節
彼のテモテへの第二の手紙において、彼は書く時ルカが共にいることを示唆しており、一方で第一の弁明にあっては彼さえも[いなかったことを示唆している]。それでおそらくルカは使徒行伝をその時書き、彼の歴史を彼がパウロと共にいた時期まで書き綴った。
7節
さてこれらのことが我々によって提示されたのは、パウロの殉教がルカが記録するローマ滞在にあって起こったものでないことを示すためである。
8節
おそらく確かに、ネロは始めはより穏やかな性質にあったので、パウロによるその教義の弁明はより簡単に受け入れられたのだろう。しかし彼が諸々の大胆な無法行為を犯した時、彼は他の者たちのように使徒たちも攻撃対象としたのかもしれない。