中平卓馬展 火-氾濫
先日友人と中平卓馬展に行ってきたのだけど葉山であった展覧会とは全く違った展示方法でこれまたキュレーターのセンスに脱帽。パリの展示の際に写真を写真としてでなく印刷物として展示したいという中平の意向をくんでか、雑誌がひたすらにそのまま展示されていた。壁まで間近にせまり寺山修司の連載文を読みながらじっと写真を眺める。
若い頃の作品から急性アルコール中毒で死にかけた晩年まで作風は少しずつ変わっていくけど捉えたいものは一貫している。
後半にクタクタの帽子をかぶって雪道を迷わずに、しっかりとした足取りでズンズン進んでいく中平の姿が映されていた。突風に飛ばされた帽子に一瞬驚くも取りに行こうともせず、スタッフの静止も振り払い、柵を乗り越えて迷いなくシャッターを切る。ファインダーすら覗かずに。
「既にある言葉ではとうてい把えることのできない現実の断片を、自らの眼で捕獲してゆくこと、そして言葉に対して、思想に対して幾つかの資料を積極的に提出してゆくこと」
わたしも資料を作り上げ続けないければいけない。消費し浪費するだけでなく創りつづけなければ。