不登校とは何か
どうも!
Welbeの平田真己です。
本日は
「不登校」を私なりに定義すると
という内容です。
文部科学省は不登校を
「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由を除いたもの」
と定義しています。
お役所らしい長くてわかりにくい定義ですね笑
これは
「不登校」対策を講じるために文科省が決めた定義です。
「不登校」状態の子どもの実数を
文科省が把握するためのものさしです。
それ以上でも以下でもありません。
勝手に決めんなや!
って感じです。
まあ、それはさておき。
私の「不登校」の定義は
「学校(広くいうと世間)と自分の価値観のズレが大きくなり苦しくなった状態」
です。
そして何より伝えたいこと
それは
不登校は自分(と自分の価値観)を守る行動である
ということです。
まず、定義のほうから説明していきます。
※あくまで私の考えです。
「不登校」状態のときは言語化できなかったけれど、今振り返ってたぶんそうだったのだろう、と考えることを書きます。
学校とは
「上の人の言うことに従う人間
(=組織や会社で扱いやすい人間)を作る」
「”みんな”と同じであることを強制される」
「ダブルスタンダードが蔓延る」
場所だと私は思います。
学校の先生を非難するつもりは毛頭ありません。
現場で子どものためを思って働いている先生方(たまに、こいつ人間か?と思いたくなる教員もいますが)には、感謝と尊敬の念しかありません。
学校がこのような場所になってしまっているのは
ひとえ文部科学省、教育委員会の責任だと私は思っています。
学習指導要領では、大層ご立派な教育の理想像を語っておられます。
「新しい時代に必要となる資質・能力の育成と、
学習評価の充実
・生きて働く知識・技能の習得
・未知の状況にも対応できる
思考力・判断力・表現力等の育成
・学びを人生や社会に生かそうとする
学びに向かう力・人間性の涵養
主体的・対話的で深い学びの視点からの学習過程の改善」
・・・
とまあ、こんな具合に。
これは教職課程の一番最初に叩き込まれる内容です。
(実は私、教員免許をとるコースにいたのです…)
なんと抽象的なことでしょう…!
その具体化は現場に丸投げ。
指導方法をギチギチに決めているので、
授業で先生の独自性を出すのはほぼ不可能。
決められたことから外れたことをしようとすると軌道修正させられます。
こんな環境の中
時間外無休労働を強いられ
それでも子どものことを考えて指導案を作り
授業をしてくださっている先生方
本当に有難うございます。
…はっ!
すみません
文科省に対する怨念のようなものが出てしまいました。
本筋に戻します。
「上の人の言うことに従う人間
(=組織や会社で扱いやすい人間)を作る」
「”みんな”と同じであることを強制される」
「ダブルスタンダードが蔓延る」
場所である学校。
「不登校」の子どもたちは
それを無意識的に感じとっているのだと私は思います。
「ここは個が尊重されない」
「自分が大事にされない」
場所だということに対する拒否反応。
それが「不登校」だと思うのです。
こう考えると
「不登校」の子どもたちは
とっっっっても
自分を大切にできているんです!
すごいと思いませんか?
合わない価値観から距離を置く。
言語化はできないけれど
ちゃんと自分を大切にできている
合わない価値観から自分を守っているのです。
まず、定義の説明をするとか言っときながら、なんか伝えたいことも一緒に書いちゃいましたね笑
ま、いっか。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。