学校に行かなくていい理由
どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。
今日は
学校に行かなくていい理由が欲しかった
ということについて書いていこうと思います。
「いかに学校に行かなくてよくするか」
不登校時代
私にとって最大の命題であり
これが私の思考の中心でした。
大地震でも起こればいいのに
ガンとか白血病とかならんかな
学校に爆破予告とかくればいいのに
それかほんまに学校が爆破されるか
学校に行けなくなってから
毎日毎日こんなことばかり願っていました。
いま振り返ると
なんて不謹慎な当事者への想像力欠如も甚だしい願いなのだろうと思いますが
当時の私は本気でこれらのことを願っていました。
なんでもいいからとにかく学校に行かなくていい理由が欲しかった。
それも親や世間が
「それならしょうがないよね」
と納得してくれそうな理由が。
テレビで放映される
余命幾許もない同世代のドキュメンタリーをみるたびに
なんでこんなに「生きたい」と思っている人が病に冒され衰弱して死んでいって
「死にたい」と思っている自分はこんなに健康で何をしても身体だけは壊れないんだろう
そう思っていました。
身体だけは元気なことが
憎くて憎くてたまらなかった。
病気の人が
羨ましくて羨ましくて仕方がなかった。
どうやったら病気になれるのだろう
そんなことばかり考える日々。
でも身体は意に反して健康なまま。
健康であることの有難さなど微塵も感じていませんでした。
なんで自分は生きているのか
(死にたい…)
生を浪費している自分に生きている価値はあるのか(死にたい…)
死んだように生きるくらいならいっそ死んだほうがマシだ
そうか
自分がいなくなれば
もう学校に行かなくてすむ
そう思い至って自殺の方法を考えたけれど
想像しただけで怖くなってできなかった。
「死にたい」と思っているのに
自殺する勇気はない自分が嫌になって。
でもこれ以上生き続けるのもつらくて。
「学校に行く」か「死」か
そんな二者択一の中でなんとか生きながらえてきたんだなぁと
この投稿を書いていて氣づきました。
ほんと
なんで死なないでいられたのか
自分のことなのに不思議でたまりません。
最後までお読みいただきありがとうございました。