【令和】の出典元『万葉集』を簡単に説明します~前編~
こんにちは!まこです。
はてなブログからnoteに移行してから約2ヶ月。
気がつけば障害に関する記事ばかり書いておりました(;'∀')笑
ということで今回はリライトかつ時代遅れのネタになってしまいますが、現在の元号である「令和」の出典元とされている『万葉集』について。
そしてこの『万葉集』と新元号である「令和」との関わりについて。
元国語研究員(←ココ重要!笑)の僕が前編と後編の2回に分けて、簡単にご説明していきたいと思います。
↑↑ちなみにこの字、僕の直筆です。
両腕がないわりには上手でしょ( ̄▽ ̄)笑
0.『万葉集』について
そもそも『万葉集』について、みなさんはどのくらいご存知でしょうか。
中学・高校だけでなく小学校でも習うので、誰しも名前自体は知っているかと思います。
が、「いつの時代」の「どういった内容」の作品なのかについて、具体的に説明できる方はそんなに多くはないのではないでしょうか。
そこで、まずは簡単に『万葉集』の概要を書いていきたいと思います。
1.現存する最古の歌集
まずはこのことに尽きるでしょう。
『万葉集』は奈良時代(710~794)後期の759年以後に成立したとされる、現存する最古の歌集なんです。
歌集とはその名の通り「和歌を集めた本」のことで、他の有名な和歌集に
『古今和歌集』『拾遺和歌集』『山家集』『新古今和歌集』・・・
などが挙げられますが、こういった歌集の中で現存する最も古い歌集が『万葉集』なんですよ。
2.編者は大伴家持か
実はこの万葉集、当時それまでに先行していたいくつかの歌集から歌を集めて成立したと言われています。
したがって、ある程度長い年月にわたり、幾人かの編集を経て完成したわけですが、最終的には大伴家持(おおとものやかもち)が現在の形に編集したと言われています。
3.代表的歌人
上で「ある程度長い年月」と書きましたが、具体的には約130年という長い年月を経て編集された大作であり、その発生期(=第1期)から衰退期(=第4期)までの4期に大きく分類されます。
以下、第1期~第4期の代表歌人です。
◆第1期
・舒明天皇 ・有間皇子 ・額田王
◆第2期
・柿本人麻呂 ・高市黒人
◆第3期
・山部赤人 ・山上憶良 ・大伴旅人
◆第4期
・大伴家持 ・橘諸兄
太字で書いた歌人は、学校でも必ず習うほど有名な歌人です。
中でも山上憶良(やまのうえのおくら)は、彼の名前は知らなくても、彼の作品の『貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか)』をご存知の方は多いのではないでしょうか。
といった具合に、
「あ!この人知ってる!この人も編纂に絡んでいたのか!」
となるのが『万葉集』なんです。
4.構成と内容
万葉集は全20巻、およそ4500首の歌から成り立っており、部立て(=部類・部門別の意)は相聞、挽歌、雑歌の3部が主なものとなっています。
ちなみにこの3部はそれぞれ
・相聞 : 恋愛の歌が最も多いが、親子や兄弟間の贈答歌も含まれる
・挽歌 : 人の死を悲しむ歌を指す
・雑歌 : 相聞、挽歌以外の歌で、行幸や旅歌、宴会の場での歌が多い
を表しています。
表記面では、当時はまだ「仮名文字」が存在していなかったため、日本語の音韻を漢字の音訓を借用して表す「万葉仮名」が多く用いられています。
歌風は「素朴だが雄大」であると言われており、「力強さ・勇ましさ」が一つのキーワードとなっています。
この勇ましさを、国学者であり、あの本居宣長にも大きな影響を与えた賀茂真淵は「ますらをぶり」と称しており、万葉集の大きな特徴と言うことができるでしょう。
歌体としては短歌(五七五七七)が多いものの、他にも長歌(五七、五七、…五七七)や旋頭歌(五七七、五七七)、仏足石歌体(五七五七七、七)なども含まれています。
また、先ほど代表的な歌人を挙げましたが、歌の作者は他にも天皇や貴族、僧侶、さらには作者不明とされる農民にいたるまで幅広い階層にわたっています。
なかには「防人歌」(=九州の防備についた庶民やその家族の歌)や「東歌」(=東国民衆の生活を表す民謡風の歌)も記載されており、当時の庶民の生活が垣間見える資料としても価値があるものと言われています。
5.まとめ
さて、今回は前編ということで、まずは『万葉集』の概要について書いていきました。
文学史ってどちらかと言うと嫌われ者的な立ち位置ですし、こんなこと言うのもアレですが『万葉集』ってちょっと地味なイメージですし(おい)、正直なところ興味のある方なんてほとんどいないんじゃないかと思います。
でもやっぱり知っていくと面白いですし、当時の日本の生活や様子に触れられるって一つのロマンだと思うんですよね。
国語や日本史を学んでいる方に必須である知識なのはもちろんのこと、それ以外の方にも教養として知ってもらいたい作品の一つです(^^)
次回は今回の後編として、主に「令和」と『万葉集』の関係性について書いていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました(`・ω・´)!
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