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【令和】の出典元『万葉集』を簡単に説明します~後編~

こんにちは!まこです。

さて、今回は前回の続き↓↓で

【令和】と『万葉集』の繋がりについて、そして僕が考える「日本らしさ」に触れることの意義について書いていきたいと思います。

あと…記事だけでなくこの動画↓↓も見ていただけると嬉しいです(/ω\)笑

1.万葉集に登場する「令和」

さて、前編で説明してきた『万葉集』の中に、新元号である「令和」の典拠があることは多くの方がすでにご存知だと思います。

ここで簡単にご紹介だけしておくと、『万葉集』は「巻五、梅花の歌 三十二首 并せて序」にある一文

「初春の月にして、気淑く風ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」

の中に登場する「令」「和」ですね。これらが合わさって「令和」となったというわけです。

2.梅花の歌(一文)の現代語訳

一応上の一文を、僕なりに大雑把かつ簡単に関西弁で現代語訳しておくと

「初春の良い月やなぁ。空気も良いし風も和やかやし。梅はべっぴんさんが鏡の前で白粉でお化粧してるみたいに綺麗に咲いてるし、蘭は身にまとった衣装が漂わせるかのようにいい匂いを香らせてるわ」

みたいな感じになります。

「みたいな感じ」とかほんと大雑把ですみません。笑

3.梅花の歌の作者

ちなみにこの梅花の歌は、前編で説明した代表歌人に挙げた大伴旅人が催した「梅花の宴」という宴会の場で詠まれた歌だとされています。

そして「令和」の典拠となった肝心の「序文」の作者は、これまた前編で少し触れた山上憶良や宴に参加していた旅人たちであると言われています。

4.「令和」の言葉に込められた意味

安倍元首相のお話からもうかがえましたが、「令和」という言葉の意味には「平和と美しさ」という「日本らしさ」溢れる時代になってほしいという願いが込められているのだと思います。

(今となっては「どこがやねん!」とツッコミたくなるけど)

現にこれまでの元号の出典はすべて漢籍だったようですが、今回の「令和」という元号は史上初めて日本の国書を出典としているらしいんですね。
(ただしこれにも諸説あるみたいなので、断言するのは現状差し控えます)

目まぐるしく変化してゆく昨今の世界情勢において、グローバルな要素を取り入れつつも、いかに「日本らしさ」を後世に残していくことができるのか。
この点が「令和」という新しい時代の一つのキーワードになってきそうです。

そしてこういった「日本らしさ」を忘れないためにも、『万葉集』をはじめとする日本文学に触れることが重要になってくると思います。

「古文なんて勉強しても将来何の役にも立たないし…」
と考えているみなさん!笑

古文は決して「役に立たない」ものでもなければ「無駄なもの」でもありませんよ。
「日本人が日本人として生きていくヒント」がそこにはたくさん隠されていますから。

5.万葉の世界に触れてみませんか?

勉強で古文が必要な中学生や高校生ならまだしも、大人の方にとっては「いきなり万葉集を読むっていうのもなぁ…」と思われるかもしれません。

そんな時は、文章に触れるよりもまず「万葉集ゆかりの地」に触れてみるのもありだと思います。

『万葉集』は詠み手の階層が幅広いだけでなく、東は東国(現関東地方など)から西は九州まで、幅広い地域にわたってゆかりがあるんですよ。

実際に以前テレビ番組で見かけたのですが、福岡県にある坂本八幡宮という神社は、先ほど説明した「梅花の宴」を催した大伴旅人の邸宅があったとされる場所のようで、最近では参拝者の数が大変増えているそうです。
私が見たテレビでも「令和」を祝うために多くの方が集まっていましたね。

正直ミーハーと言ってしまえばミーハーなのでしょうが(笑)、それでもこの機会に万葉の世界に触れる、歴史に触れるのは大変意義があることだと思います。

6.でもやっぱり万葉の中心は奈良県!

それでもやはり、万葉の中心であった大和(現奈良県)には、今でも当時の世界を感じられる場所がたくさんあります。

その一例として、吉野川や三笠山、三輪山に大和三山(=畝傍山・耳成山・香久山の総称)。
これらの山や川は実際に数多くの歌に詠まれている場所であり、一度はその地名を耳にしたことがある方もたくさんいらっしゃると思います。

こういった場所に赴き、実際に風景を眺めることで当時の歌人たちに思いを馳せるのも楽しみ方の一つですよね。

また、前編の歌体でご紹介した「仏足石歌」が実際に刻まれている「仏足石歌碑」も、この奈良にある世界遺産「薬師寺」に保管されています。

自然だけではなく、こういった人為的な物に触れるのもロマンがあって楽しいですよ!

7.最後に~温故知新の心を持とう~

ここまで『万葉集』や「令和」との関係性、またゆかりの地について僕が知っている限りのことを書いてきました。

以前から興味を抱いていた方も、最近興味を抱くようになった方も、今もそんなに関心がない方も、ぜひ「日本古来の世界観」に触れてみてほしいと思います。

繰り返しになりますが、古文は役に立たないものでもなければ無駄なものでもありません。
たとえそこから得た知識を実際に生かす機会がなくとも、古文で触れた世界観や情感といったものは、この国で生きていく上で必ず必要なものになると思います。

せっかく日本で生きていくのなら、日本の心を知り、日本らしさを持って生きていってもいいじゃないですか。

少なくとも僕は日本が好きですし、もっともっといい国になっていってほしいと思います。
国民のみなさんにもその想いがあるからこそ、元号も新たなものに生まれ変わり、日本中がそれを祝福したのだと思います。

そしてこれからのさらなる平和と発展を望むのであれば、「故きを温ねて新しきを知る」、この「温故知新」の心を持つことが大切だと感じています。

「新しき」を考えることももちろん大切ですが、たまには『万葉集』などの「故き」にも目を向けてみるのも良いものですよ(*‘ω‘ *)

それでは当シリーズはこの辺で終わりにしたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました(`・ω・´)!

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