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「要領がいい」ってどういうこと?


「もっと◯◯ちゃんみたいに要領よくいきなさいよ」と、母は幼い私に度々声をかけていた。しかしそう言う母もなかなかに要領の悪い人なので、口では偉そうに言うものの、実際はうまく娘にレクチャーできない。だから2人揃って、常にモタモタしていた。

そもそも私も母も「要領がいい」ってどういうことなのか、それすらわからない。ピシーッと何事も素早くやり遂げる人、というぼんやりとしたイメージでしかない。
その「要領」の仕組みが皆目見当もつかないから、モタモタと生きているのである。
そこで、すでに人生折り返し地点の私が、今さらなのであるが「要領の良さ」について考えてみた。


いきなり結論から言うが、「要領がいい」ということは「最短コース」を見極める、ということではないか。要するに、最短コースを見極めれば、余計なことは回避していけるというわけなのだ。

ではどうやって、「最短コース」を見極めるのか。
それに必要なのは、兎にも角にも「ゴールのイメージ」。どれぐらい「ゴールのヴィジョンを細かく思い描けるか」にかかっているように思う。
テレビを見て憧れたり、漫画やドラマだったり、自分の好きなことから派生していたり、知り合いの素敵な人だったり……と、そういった情報を出来るだけたくさん寄せ集めて作り上げた「虚像」を、いかに持てるかにかかっている。
そのイメージを作り上げるためには情報収集力、さらには結局は自分は何が好きなのか、何をしたいのかを面倒臭がらずに恐れずに、自分に問いかける努力も必要なのである。

つまりゴールを思い描くということは、「待ち合わせの時間」を設定するようなものなのだ。
あの約束の時間までにああいう交通手段で、天気はああで気温はこうだから、あの服を着て、あれを持って、……とヴィジョンを明確に持っているからこそ、逆算しながら、あれしてこれして、今これをやっている場合ではなく……と取捨選択をしながらキビキビと無駄なく準備ができる。
あらかじめヴィジョンを持たずに成り行きで、手につくままに色々と準備をしていると、たいてい時間には間に合わない。遅刻した後で、「あーあ。あのとき、あれをやる時間じゃなかったな、帰ってからでもできたことだった」などと後悔することもしばしば。
テスト勉強でも、受験でも、もっかの仕事のプロジェクトでもいい。つまりは、ヴィジョンの明晰さが仕上がりの質なのだと思う。


夢に関して言えば。
具体的に何を目指して、どうしたいのか、そのとき自分はどんな格好で、どんな雰囲気で、どんな発言をしているのか、どんな生活で、どんな環境で、どんな人間関係なのかなど、出来るだけ鮮明に微細にヴィジョンが思い描いていく。
その通りにならなくてもいい。途中で軌道修正してもいい。
でもイメージさえできていれば、つまりはそこに向かって「がんばれる」のである。結果、最短ルートが取れるのだ。
ゴールを掴むには、いつまでにこれをやって、これは今必要なくって、これは今考えても時間の無駄、この人間関係にはこだわらなくていいや……という取捨選択ができるのだ。

一般論として第一子はたいてい要領が悪くて、それ以降の子どもたちが要領がいいというのは、第二子以降は上の子を見ているので情報を集めやすい。つまりゴールのヴィジョンが描きやすい。また親もすでに一人育てているので同じくヴィジョンが描きやすく導きやすい、というのが大きい要因なのだと思う。
私も母も第一子だったしね。モタモタするわけだ。


高校時代、いつから決意したのかわからないが、看護の道を目指している友だちがいた。彼女は第二子。いつからどんなヴィジョンを具体的に描いていたのかは知らないが、いつも無駄のない、とても要領のいい子だった。
看護婦が目下のゴールなのだから、中学時代から理系科目に力を入れる。私と同じ普通科の高校に通いながらも、サクサクと高校生看護体験などを経験したりして、多くの資格が取れる看護大学に入学。さらには看護婦を経験後に再び大学院まで進み、看護のための研究室へ……と傍目にはトントン拍子で進んでいた。

一方、私ときたら漠然と「大学には行くんだろうな」と勉強して、漠然とテストを受けて、ここぐらいの成績だからここら辺の大学だろう、こんな勉強がしたいから受ける学科はここかな、その学科がある学校は……わぁ、ちょっと偏差値高すぎて無理無理! と手探りで前進したり後退したりして、無駄ばかりだった。
行き当たりばったり。
そんな流れるままに、成り行きで生きていくのも嫌いではない、のだが……。でもそればかりでは時として、なかなか思い描いたように人生を導くのは難しいのだ。何か達成したい夢があっても、漠然としすぎてヴィジョンが曖昧だと、無駄足ばかり踏む。
実際に私の人生も、うまく転がっていたときほど、「こうなりたい」というヴィジョンが明確にあり、それに向けて毎日が充実していたと記憶する。

もちろん、廻り道から得るものもたくさんある。苦労したからこそ得たものもあって、そう悪いものではなかったなと思う。
けれどもゴールを目指していて、そこを見据えながら試行錯誤で進むのと、何も定まっていないからこそ大きく道を外したり、立ち止まったり、休んじゃったりとフラフラするのとは、勝手が違うと思うのだ。
ゴールがあれば、やる気スイッチも早く押せる。エンジンもかかりやすい。ブースターも点火される。イメージから外れれば、焦ったり、また頑張ったりできる。

今からだって遅くはない。
そういう私も、人生後半戦、イメージを現在再構築中なのである。
息子たちにも、できるだけヴィジョンを多く持てるよう協力したいと思っている。



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今泉真子 mako imaizumi
ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️