あの世・この世
このタイトルだと、いくよ・くるよ師匠を連想するが(しないか)、先日、11歳の息子が晩御飯を食べながらこう聞いてきたのだ。
「ねぇ、お母さんは『あの世』ってあると思う?」
キタキタ。小学生らしい質問。
「うーん。本当にあるかどうかはわからないけど、私は『あの世』はあると思って生きているよ」と答えた。
そうなのだ。
あの世があるかないかは、検証できないのだ。
臨死体験した人だって結局死ななかったわけだから、「死んだおばあちゃんが何やら河原で立っていて、『こっちには来るな!』と必死で追い返してくれたんだぁ」などと神妙に言っても、「それは夢」と一刀両断されたら、それまで。
立証できないことを、つらつら考えても仕方ないのだ。
なのでもうここはズバリ、私の中では「あの世はある!」ということにしている。そう決めつけている。そして「輪廻転生もある!」ということにしている。そう思い込んでいる。
あの世はない。死んだら消滅。はい、そこまで。とキッパリ潔く考えるのも一つの選択である。それもよし。
でも「あの世がある」と考えたほうが、ワタシ的にはずっと世界が広がって楽しいし、何と言っても私自身が生きやすいのだから、「そのシステム、即採用!」というわけだ。
旦那さんが、小学生だったときだ。
クラスにT君というモテモテ男子がいたそうな。
とにかく背が高く、顔がいいだけじゃない。運動神経は抜群で、成績も優秀。機転も利くし、喋りもキレる。そして何よりもお姉ちゃんが2人もいるので、女の子のあしらいがこのうえなく上手。ここ大事。
一方、人より成長が早かった旦那さん。小学校時代は周囲よりも早くに背が伸び、ませていたので理解も早く、運動神経も発達。小学校時代にいわゆるモテ期という彼の人生においてのピークを迎えたのだが(そこから緩やかに周囲に越されていったらしい)、どうしてもモテモテT君にはかなわなかったのだそう。そして旦那さんはゴリゴリの男兄弟。あぁ……。
「きっとTは、もう何十回も転生したからスゴイんだ。だからあんなにできるんだ。俺は多分、今回で2回目ぐらい」と、小6の成長ハヤオは思ったそうな。
面白い考えだと思った。
「なんでそんなことをするのだろう……」と理解に苦しむ人っているじゃない。
わざわざ不倫ばかりする人、すぐに仕事を投げ出して帰ってしまう人、挨拶をまったくしない人、マウンティング好きな人、どうしても意地悪ばかりする人、その他いろいろ、こちらの心を乱す人たち。
でもそんなとき「この人は、きっと転生の回数が少ないのだ」と思うと、すっとココロが収まりつくのだ。私も転生回数が少ないときの人生では、この人のようなときがあったかもしれない。みなさんの心を騒がせていたかもしれない。彼らは彼らで現在修行中なのだから、自分で気がつくまでそっとしておこう、と。
もちろん私自身も修行中の身なのであって、モテモテT君のように太刀打ちできない人には、「転生回数がスゴイんだなぁ、やっぱ転生だよなぁ」と思えば、嫉妬に苦しむ必要もない。自分もこつこつと今生を励めばいいだけなのだ。
うん。いい考え方だ、と思う。
あと、別の使い方としては、
たとえば「彼女はもう別の男が好きなんだからさ。今生は諦めろよ」とか、自分で自分の肩をポンと叩いて言ってやればいいわけだ。
それぐらいリラックスしていると、もしかすると彼女はその男と別れて、自分に振り向いてくれるかもしれない。振り向いてくれないかもしれない。でも、固執してしまっては、ストーカーっぽい空気を出して彼女に完全に嫌われるだけだ。
恋愛も夢も、こちらが頭だけで考えてガチガチに執着しすぎると、振り向いてくれないと思っている。もっと肩の力を抜いて「夢に到達するのは来世かもしれない」ぐらいでいると叶いやすい、というか確率が上がる気がする(なんでもすぐに簡単に諦めろっていう話じゃないからね)。
そして最後。大好きな人たちと、死に別れをしたときでも
「また会おうね」
と囁くと、とても心が軽くなる。
世界は、宇宙は広いから、まだまだまだまだ転生を繰り返せば先がある。80歳になっても、90歳になってもそんな気持ちで空を仰げるなんて、この考え方は人を柔らかく、自由な気持ちにしてくれるんじゃないかなぁって思うのだ。