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集団キャンプの極意


お盆明けでヘロヘロ……。
34人キャンプを主催し、それを前後に挟んで自宅で子どものお泊り会。
子どものために動くのも残りあと数年だから、ま、ここはがんばりましょ、というところ。ハイ! 死力を尽くしましたっ!


キャンプ経験者がほぼ我が家だけだったので、不安はあったけれども、集団キャンプはとてもピースフルに終わった。

キャンプ前は「このテント使ってください!」と、ポップアップ・サンシェードだったり(風雨や朝の寒さ、結露できっと眠れないのね)、「かまどを作る!」と言っている人が何人かいたりしたのだけれど(ほとんどのキャンプ場は火災防止のために地面で直接火を起こすのは禁止、というかメールした注意事項を読めやい!)、どうにかこうにかアイテムを大量に持ち込んで、ことなきを済んだ。

集団キャンプの極意は「各テントごとに食事を用意」すること。一見、集団のようだが個々で動くのが鉄則だ。たとえソロキャンプであっても。
今回の場合、はじめは子どもばかりが集まってしまったので炊き出しでもしようかと思ったが、どんどんと大人が参加してくれたので、各家庭(各テント)ごとに食事を振ることができて助かった。

こういった場合、みんなで力を合わせて一つのことを頑張ることも学びだが、制限された火力の中、制限された機材の中では何かと大変だ。人数が増えるほどに持ち込む食料の量も曖昧になり、結果として食材も余る。そもそも石原軍団のように炊き出し専用コンロや鍋がないと無理だ。
ポットラックパーティーのように持ち寄りで各自が料理するのがいい。
他人の家は気にせず、カニを焼く家、カレーを作る家、ステーキを焼く家、それぞれ。

集団は足並みを揃えようとした途端に、ルールが生まれ、窮屈になってしまう。もちろんルールはときには必要だが、できるだけ最低限に。
今回ピースフルでハッピーで終わったのは、誰もがお互いを干渉しなかったからだし、それぞれに比較をしなかったことだと思う。

仕事でもそうだ。「干渉しない力」が求められる。
他人を気にしだすと、やれあいつは足並みを乱すだの、己の労力と比べて不満が出る。損得勘定が生まれたり、理想との擦り合わせが起こったりして、色々とストレスを産む。多少の均衡は必要だが、できるだけ労力を均等にしようという努力もお互いを疲弊させる。みんな一緒でなくていいのだ。
相手のことは見て見ぬ振りが、心の平和の第一歩だな、とつくづく思う。

22人の子どものうち、ほとんどが中1男子で全員サッカー少年というのもあって、基本的にみんな走り回っていたのだが、中には建てたテントの中でiphoneをいじっている子どももいたり、テントの中で恋バナばかりしている子どももいる。
どれが良いとか悪いじゃなくて、大自然の中であろうが、みんな好きなことをしていればいいのである。
「はいはい、せっかく来たんだから、外に出なさい!」とか言う大人が一人もいなかったのがよかった。もう干渉する年齢ではない。
iphoneをいじっている子でもそれなりに自然を肌で感じているはず。子どもは野外で飛び回るものだと云う理想を押し付けても無駄なのだ。
もしかするとその子も「あれ、なんだかいつもと違って気持ちがいいな。自然の中にいるからかな」と気がつくかもしれないし、気がつかないかもしれない。もし、いつものiphoneいじりとどこか違うのを感じれば、めっけものだ。要は自分自身で気がつくということが大事なのだ。

まぁ案の定、ほっておいてもバッテリー切れで、やがてのそのそと外に出てくるんだけどね。(次回からは携帯用充電器を持参するかもしれないけれど)


さて、キャンプのいいところは、空気のよさ。ついで、自分が「整う」感じ。それはとくに、私の場合は二日目に感じられる。

この「整う」感覚は、なんと説明すればいいのか。言葉では言い尽くせないが、キャンプではいつも身体がピシッと自然とマッチした瞬間が訪れる。たぶん自分の体内時計が自然とピッタリと合うのだと思う。この瞬間が不思議とわかるし、しかも快感なのだ。
太陽と共に起き、太陽の運行と共に生活し、日没後は焚き火の炎を見てから眠りに着く。人は太古から太陽を目で追って生活していたのだなぁと実感する。さらに人類は焚き火と共に生きてきたから、家庭内でも電灯は暖色系にして、できるだけ足元に置いたほうがいい、と何かの科学番組で見聞きしたのだが、さもありなんと思う。

農業や土木業、漁業など自然と向き合って体を動かしている人ならいざ知らず。
こうしてパソコンに向かって室内に籠り、夜は煌々とした電灯に四方から照らされていると、どうしても身体は狂ってくる。朝は定時に起きて、夜は眠くなるのだが、時計頼りで動いているところも多いにある。

まるで1日に何個も卵を産ませるために養鶏場の点灯時間を調節させられているニワトリのように、花芽をつかせないよう夜に点灯して出荷時期を動かされているビニールハウスの植物のように、私は不自然な生活をしているのだ。鶏や植物だって体内時計がずれるのだから、私だってずれる。
自然養鶏で野外を走り回っているニワトリの卵を積極的に買っているが、ふと、自分のほうがこの卵の産み主よりも劣悪な環境なのではと不安になる。

山々が霧が雲間の太陽が、我々を自然に引き戻してくれるのが、キャンプ生活だ。


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今泉真子 mako imaizumi
ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️