その夢は、誰の夢?
「うちの子、合格したの」と小学校の委員会の帰り道、息子のクラスメートだったママが私に言った。
「わぁ、そうなんだ。おめでとう! どこ行くの?」と、私。
「○○中学。あの子がずーっと入るの夢だったところなのよ」
「すごい、名門じゃない! よかったね!」
と、言いながらも私は「それは、本当か?」と心の中でつぶやく。いや、「本当は不合格なのに嘘ついた」と思っているのではない。
「『ずーっと入るのが夢だった』というのは、本当にその子の夢?」と思ってしまう私は、意地悪だろうか(まぁ、意地悪だな)。
忘れもしない。お互いの子どもたちが幼稚園の年少さんのとき、初めて我が家に遊びにきてくれたときのことを。
開口一番「ね。お受験対策、どうする?」と聞かれた衝撃。以来、私の心の中で彼女は『お受験さん』というアダ名がついている(うちのお受験対策は、部活引退後の中3夏ぐらいからだろうか……)。
その名に偽りなく、しっかりと名門校へ向けて努力を重ねていったのだろう。そこは素直に子どもの頑張りを称えて、「よかったね」と安堵と溜め息が出るのだけれど。
しかし、「子どもの夢だった」というのがなんだか解せない。モヤモヤする。
……なんとなく親の誘導が見え隠れする。
聞けばこのまま大学か高校あたりから、海外の学校へ行けるよう準備をしているらしい。いいのだけれど、それは子どもが自分の意志で、ちゃんと決意したのだろうかと、ふと思う。
その子は一見ぼんやりとしてて、ちょっと幼い印象の人のいい男の子。
そしてぼんやりとした彼のため、小学生になっても、ママがお友だちを選んできたり、先回りして手配したりと、過保護気味。いろんな行動に親の影が濃厚に感じられるので、やっぱりちょっと後ろ暗い方向で、想像しちゃうんだよね。
そう、何が言いたいかと言うと。
その夢、誰の夢? と思うのだ。
勉強でもスポーツでも、子どもに親の夢を託すシーンをよく見かける。
でも、もしも親に叶えられなかった夢や理想があるのなら、親は自分の挫折から人生の何かを学び、夢を諦めるしかない。どうか叶えるのなら、来世で自力でやってほしい。
あるいは、親がこの生き方で成功したからって、子どもが同じ道で成功するとは限らない。親子は別物だし、時代も違う。
だって親からの課題を必死にクリアする人生って、楽しくないじゃないか。その子の夢は違うところにあったらどうするの? 本当は違う夢を持つ子どもなのに、幼少期からの洗脳で、本当の夢がわからなくなっていたら?
同じモヤモヤを先ほど引退した吉田沙保里元選手にも感じている私。そしてこれは、あくまでも外野がテレビを見る限りの勝手な感想ですよ。
確かに、彼女のれっきとした「夢」だったと思う。オリンピック4連覇は。
でも、彼女からはどうしてもお父さんの影響の強さを感じずにはいられなかった。もちろん、父親はレスリングの指導者だったから、半ば妄信的に従ってしまうのは仕方がない構図だ。大好きで尊敬しているのも伝わる。良好な親子関係だったのだろう。
吉田沙保里の父が亡くなった後、彼女はリオ・オリンピックを控えていたが、試合への取り組み方や発言などに、彼女の不安定さを感じていた人も少なくないだろう。
というのも、今まで連勝中だった彼女が、一端負けそうになってからは、8ヶ月以上、一度も実戦に出なかったからだ。オリンピックにはぶっつけ本番で挑むと。以前はありえないことだ。
その間、テレビに出ては「期待に応えたい」と繰り返し発言していたし、さらには「東京オリンピックでも活躍したい」、「東京五輪は止められても出ます」とまで言って、報道陣を沸かせていた。でも、こんなに試合に出ないのでは、勘も落ちる。次のリオでは勝てないのでは……。
それほどレスリングファンではないのだが、彼女が気になった私は、深夜から明け方にかけて半ば徹夜までして、オリンピックの中継を観たのだった。そしてあの敗北。家族の元に駆け寄り、少女のようになって「お父さんに怒られる」と泣く彼女。「ごめんなさい」「申し訳ない」を、ひたすら繰り返す彼女。
どこかで見た光景。
あんなに小さくなって泣く姿を、そうだ、よく子どもの付き添いで行く、サッカーグラウンドでも見かける。たいてい、熱血お父さんが隣で仁王立ちしている。少年はお父さんの思い描いたとおりにプレー出来なくて、期待に応えられなくて、お父さんをガッカリさせてしまったと泣いている。怒られると泣いている……。
吉田選手は、もっと自分のために戦ってもいいのでは、と思うとせつなかった。
彼女は自分自身と戦いきれたのかなぁ、と。
彼女が必死に守っていたのは何だったのかなぁ、と。
もちろん4連覇。世界が見ている。日本選手団の主将という責任感もあろう。年齢的な衰えもある。彼女の重圧は、私ではとうてい計り知れない。
でもわかるのは、彼女は、周囲のどの選手よりも「期待」に応えようとしていたということ。
そして引退したいま、吉田沙保里は「結婚して子どもが欲しい」とあちらこちらで言っている。身を引いた女性アスリートとしては、何ら不思議ではない流れだ。
しかし先日の武田砂鉄さんのエッセイの指摘で初めて知ったが、吉田沙保里の母親の著書の中には、「結婚して子どもを」という見出しが躍っているというではないか。お母さんは「理想の出産年齢」まで宣言しているらしい。予告出産。予告ホームランでもあるまいし。
こう宣言すれば、素直な我が子は実行してくれると思っているのであろうか、これ以上、彼女の何を縛る気なのだろうか。
吉田選手の父も生前豪語していた。「娘の結婚相手は外国人男性にすべし!」と。
なぜ、外国人? それは骨格がレスラー向きだから。
彼女の夢は、誰の夢?
子どもにもう呪いはかけないでほしい。
吉田沙保里の両親は、単に希望をほがらかに述べているだけなのだろうが、子どもに対する夢や願望を、マスコミを通して宣言するのはどうかと思う。
「期待」はある意味「呪い」だ。ましてや宣言してはアウトだ。
言った本人は軽い気持ちだったとしても、親の呪縛というものは子どもにとって、予想以上にきついのだから。
だって、子どもたちは自分の親を、心の底から愛しているのだから。
↑ 別のママである。