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波と粒子と満月と


すべての物質は波と粒子の性質を持っている。
と、言われたときに。わかったようなわからないような、いや、全然わからなかった理科室でのこと。

私たちの体は分子が結びついてできている。
と、耳にしたとき。わかったようなわからないような、いや、全然わからなかった中2の教室。

するってえと、何かい。この指や体は、たまたま分子が結びついてできている、粒のかたまり。
けれども、そうだとしたら何かの衝撃でホロホロと崩れてしまわないのだろうか。なぜ分子たちはほどけずに、結びついたままでいてくれるのだろうか。死んでしまったあの学校のウサギは、もうとっくに崩壊し、その分子の一部はふわふわとこの空気中を漂っているのであろうかと。ウサギが、空気に。本当か? と訝しむ当時の私。

しかし、私がサハラ砂漠な砂丘に立ったとき。
ただの砂山がなぜこんなにも美しいのだろう。なぜずっと飽きもせず、目を離さないでいられるのだろうと思った瞬間。
「波」と「粒子」という単語が弾けた。
だってこの、どこまでも大きくうねる砂丘の波形。そして足元の緻密な風紋。さらさらと、さらさらと風で流れる小さな小さな砂の粒子たち。それらは風の形をそのまま表現しようと、健気に砂肌を滑っていく。
私はその目で波と粒子を見たのだった。同時にその美しさは、砂が具現した「宇宙そのもの」のような気がしたのだ。


さて。私が最大にメンタルに打撃を受けたのは、21歳の頃、父が死んだときだ。
急に倒れてそのまま亡くなったものだから、警察からの一報を聞いたときのショックというのは相当なものだった。まだ事実がよく呑み込めないのだが、それよりも早く体は反応し、ぐわんと脳震盪のように部屋が揺れて膝から下の感覚がなくなった。あの膝下や臓器の一部がなくなったようなひどい喪失感と、胸と涙腺が熱く捻れるような感覚は、人生でそう何度も経験したくはないものだ。
そうして葬儀や諸々の手続きが終わった私は、身も心も疲れ果てた自分をどうにか立て直ししたいともがく日々だった。
というのも、父の顔がふいに浮かび、「あぁそうだ。もう死んじゃったんだよね」とぼんやりと気づき「でももう、だいぶ乗り切ったかな」と思うときもあれば、不意にグッと熱いものがこみ上げて「まだぜんぜん大丈夫じゃなかった」と息ができないほど苦しくなるときもある。まるでジェットコースターのように、気持ちの高低差があるのである。それは日常に支障が出そうなほど。
そうこうしているうちに結局、行き着いた結論は以下の2つだった。
やはり、自分は波と粒子なのだということ。
そして、悲しみは波のようだということ。
「もう落ち着いた」と、取り乱さない自分に安心しても、また性懲りもなく悲しのみの大波がやってくる。だけれども救いなのが、最初の衝撃波の後はかなり荒れたけれど、寄せては返すその波は、だんだん、だんだんと小さくなり、やがて静まっていく。前の波よりは、次の波のほうが間違いなく小さい。
「大丈夫、大丈夫だよ。次は確実に小さいから」そのように自分に言い聞かせながらなんとか乗り切り、波が凪のようになるのには半年以上かかっただろうか……。
私の体中の粒子たちは、そうやってさざめきあって、この衝撃をだんだんとおさめてくれているのだ。頭で無理やり立ち直ろうと思っても、それは無駄なあがき。体が鎮めてくれるのをプカプカ浮かびながら待つしかないのだ。大空を見上げ、父の肉体の大部分は、焼かれてほどけて見えない粒になって、この地球上の大気のどこかに溶けて漂っていったのであろうと思い巡らしながら。


そういえば、幼いときに父から、満月や新月の日は人が死にやすいし産気づきやすい、と聞いたことがあった。テレビで人の訃報が続くと新聞をチェックして、「やっぱり満月」「なるほど新月」などと言っている子どもだった。
死んだ父に代わって祖父の看取りをしたときのこと。病室で祖父をずっと見ていると、あることに気がついたのだ。
もう意識もなく寝たきりの祖父なのだが、一日数回、呼吸が大きく荒くなっていくのがわかる。鎖骨の上下が激しくなるのだ。「ヤバい。逝っちゃうんじゃないの」と焦って医師に聞いても、「そういうことはよくありますね」と、軽く流されたように記憶する。
ふと思い立って祖父の呼吸が荒い時間をメモし、病院の新聞と突き合わせてみると、呼吸が荒い時間帯はきっちり満潮時や干潮時なのである。
祖父はやっぱり月と連動していたのだ。もう虫の息ではあるのだが、それでも彼の体の粒子は波立って、月に引っ張られているのである。
当時、医師は「あとしばらく、2週間ぐらいはもつと思う」とも言っていたが、早速、私は遠方の親戚に「次の満月、3日後におじいちゃんは逝くと思う。後悔したくないなら、病院にきたらどうだろう」と電話した。「本当か? 先生はそうは言ってないだろう。確証はあるのか?」と聞く叔父に、私は「ある」と断言した。
私に恥をかかせないために仕方なくだったのだろうかはわからないが、祖父はきちんと満月の夜に旅立った。駆けつけた、親戚一同に囲まれて。

思い返せば父が急死した日も、冴え冴えとした満月だった。
年の瀬も迫った凍てつく夜。残念ながら霊感もなく何も知らない私は、プラットホームにぽつんと立っていた。闇夜にぽっかりと浮かぶ白々とした満月を眺めて、「わぁ。これは誰か死んじゃいそうに綺麗な満月」と白い息を吐きながら独り言ちたのを、今も思い出す。


もう私も歳なのであろうか、最近は、夜に起きることが増えた。
中でも「今日はやけに夢を見る。眠りが浅いし、何度も目が覚めるな」と思う日は、月の満ち欠けカレンダーを確認すると、怖いぐらいに満月、あるいは新月。
大潮並みに体が沸き立っているのだから、仕方がないね。なんと言っても私たちは粒子と波なのだから。
そう思いながら目を瞑り、ハチミツ色の満月を瞼に浮かべ、自分の呼吸を波音に見立て、私は再び寝につこうと努めるのである。



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今泉真子 mako imaizumi
ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️